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は じ ま り の 日

上尾美奈

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 12月のある日、甲児は光子力研究所の廊下でさやかに声をかけた。
「今晩、ボスの家に招待されているから、遅くなるよ。」
「あら、いいわね。何で甲児くんだけなのかしら。」
「何でも男同士で飲みあかしたいんだと。」
 あれから、10年以上の時が流れた。甲児とさやかはともに27才になりで研究者としての道を進んでいた。
さやかは、甲児がべガ星連合軍との戦いに巻き込まれていた間に反陽子エネルギー理論を発表し、基礎実験に成功し、実用化実験に取り組んでいた。エネルギー工学学者としての地位と名声を不動のものとした現在はどちらかというと所員の良好な関係の維持などかげの仕事に力を尽くしていた。その中で甲児は新進気鋭の機械工学学者として最新の技術の開発に活躍していた。そして、2人は親密な恋人同士であったがお互い最後の1歩だけが踏み込めずにいた。それは本人たちよりまわりをやきもきさせていた。
 ボスは、親の鉄工所と屑鉄屋を継いだのだが、光子力研究所を定年退官したのっそり博士が開発した金属のリサイクルプラントの事業化に成功し、折りからの環境問題等の追い風に乗り、また、同じく定年退官したせわし博士のもと、世界一といわれるボルト作成技術、これはマジンガーZの最も小さい部品だか、Zのような精密かつ頑丈でなければならない機械はボス工業のボルトでなくてはならなくなっていた。そして、ヌケ、ムチャ、甲児たちの同級生中一番の秀才といわれた橋本とともに一大コンチェルンの総裁におさまり、みさとと結婚していた。

 甲児がボスの邸に着いたときには、ボスはもう出来上がっていた。
「よお、兜、久しぶり。みさとの料理はうまいぞ。まあ飲めや。」
「ははは、ボスごきげんだな。」
「ほんと、この人、甲児さんに会えるのたのしみにしていたのですよ。じゃあごゆっくり」
 甲児はごきげんなボスにつられて楽しく酔った。2人の宴もたけなわになった頃ボスは甲児にからみつき、言った。
「おい、兜。さやかは裏切らないでくれよ。俺はよお、おまえだからさやかをあきらめることができたんだぞ。おかげでこうしてしあわせになれた。俺はよお、さやかには幸せになって欲しいんだ。本当にあの頃はさやかに惚れていたんだ。あいつはおまえが愛してやればそれだけで幸せなんだぞ。」
「ああ、わかっているさ。」
「それからよお、研究はよお、平和のためになるようにするんだぞ。戦いはいかん。それでよ、食えなくなったら、俺がネジ売ってくわせてやるからよお。」
 それだけ言うとボスはねむってしまった。
「あらあら、お客様をおいて、ねむってしまったの。甲児さんすいません。わたしがおくっていきますから。」
 甲児はみさとが運転する車で研究所への帰途に着いた。
「みさとさん、ボスは本当にいいやつですね。でも正直いって初めはみさとさんなら、どんなところでもお嫁にいけるのになんでって思ったりしたんですよ。いまだって、みさとさんの内助の功ですよね」
「あらっ、甲児さんがそんなこというの。あの人の良さはあなたが一番知っているでしょう。たしかに細かいことわからないけど、あの人は見る目がそなわっているの。絶対、だまそうとしたりしても直感で分かるのよ。いいものもね。橋本さんだって、御両親が亡くなって、進学をあきらめたとき、あいつが大学にいかないのは人類の損だとからといって、自分が進学しなくてもいいからと学費を自分の両親にだしてもらったのよ。それに、自分の会社に入るというときももったいないそんなつもりじゃないんだっていって。今では顧問弁護士よ。出来ないことは自然にまわりの人が助けてくれるの。それだけのひとなのよ。」
「みさとさん幸せですか」
「ええ、とても」
 甲児はさやかがどうしてあんなにいいやつと結婚しなかったのかということを考えていたのだ。

 研究所へ帰るとさやかが起きて待っていてくれた。たまらなくなくなって甲児はさやかを抱きしめた。さやかはおだやかに受け止めていた。
「ボスはいいやつだ。やつは本気で君に惚れていたんだぞ。あんなにいいやつと結婚しようとか思わなかったのか。」
「思っていたわ。あなたと会う前、乙女らしいときめきはないけれどこの人ならきっと大切にしてくれる、って」
「じゃあ、なんでだよ。」
「あなたに会ってしまったから。あなたとならどんないばらの道でもいっしょにいきたいって感じたから。」
「バカヤロウ、きみはばかだよ。」
 甲児はさやかを抱き上げると、自分の部屋へと連れていった。優しい夜の空気が2人を包んだ。

 翌朝、隣で目を覚ましたさやかに甲児は色褪せた紙で包んである小さな箱を渡した。 
 それは小さいけれど最高級のダイアモンドの指輪だった。地質学を学んださやかは1目でそれがわかった。甲児はそれを左手の薬指にはめてやりながら言った。
「ずっと渡そうと思っていたんだけど。なかなかいえなくて」
 包み紙の色の褪せ具合から、それは感じられた、ずいぶん時間が経っているのだと。 
 さやかは甲児の胸に顔を埋めてつぶやいた。
「ばか」
「なにがばかなんだよ。」
 甲児は笑いながら言う。
「だって、ずっと待っていたんだから。」
「ばかやろう、そんなんなら、きみから言えばいいだろう、じゃじゃ馬さん。」
「ずっとそうと思っていたんだけど。なかなかいえなくて」
 ふっとさやかが笑い出した。
「俺達、同じなんだ。これからもずっといっしょだ。」
 それは12月3日二人が初めて会った日であった。

 

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