くもりのち晴れ?

鶏子

 

その日、鉄也とジュンは業務報告がてら、時節の挨拶に光子力研究所を訪れていた。
夕食を一緒にどうかとの誘いを感謝しつつも辞退し、鉄也はエントランスで弓とさやかに別れの挨拶を述べたところであった。
外のほうから、聞いたことのあるような、初めて聞くような、そんな女の明るく大きな笑い声が聞こえた。
いつも大口を開けて笑うさやかは目の前にいる・・・
「・・・誰の笑い声だ?」
尋ねるともなく鉄也がつぶやくと、さやかが呆れたように答えた。
「な〜に言ってんの!ジュンに決まっているでしょ!」
声のするほうに目をやると、一足先に挨拶を終えて、甲児と話しながら身をよじって笑うジュンの姿があった。
自分と話している時もジュンは笑顔を見せてくれてはいたが、決して今のように無防備な笑い顔ではなかった。
「あんなふうに笑えるのか・・・」
その言葉の意味に気付いたさやかはニヤッと笑ったが、いい薬になりそうだと思い、その場は突っ込まずに黙っていた。
しばらく様子を見つめていた鉄也は、突然ムッとしたように車のほうへ歩き出し、ジュンを呼んだ。
「おい、いつまでのんびり喋っているんだ!先に行くぞ!」
「あっ、待ってよ、鉄也。それじゃまたね、甲児くん。楽しかったわ、ありがとう」
「どーいたしまして。今度は仕事抜きで遊びに来てくださいよ。鉄也さんも気をつけて」
しかし鉄也はその声に車内からチラリと鋭い視線を向けるだけで、
「早く乗れ」
とジュンを急かすと、車を走り出させた。
「?なんだぁ?いったい何機嫌悪くしてんだよ、鉄也さんは・・・」
ぶつぶつ言いながら甲児はさやかの傍に歩み寄ってきた。さやかは今の鉄也の心情を説明しようとしたが、思いとどまった。
「どうせ甲児くんには、一生かかっても理解できないでしょうねぇ、はぁ〜」
「なんなんだよ、いったい?!」

「ねえ、どうしたのよ。さっきから黙ったきりで・・・甲児くんに挨拶もしないで」
「・・・話すことがないから黙っている。別にどうもしない」
「まったく・・・ まあ、いいわ。今日は楽しかったし・・・ あのね、甲児くんたらね・・・」
そう言って、ジュンは先刻の甲児との会話を話し始めた。思い出し笑いをしながら話すジュンの顔は、先程の明るい笑顔のままであった。
自分に向けられている笑顔ではない、そう思いながら鉄也は黙って聞いていた。


あれから数日が過ぎた。仕事の手が空くと、不本意ながらもあの時のことを考えてしまう鉄也だった。
自分の醸し出す空気は、周りに緊張感を与えるものである事は充分理解していた。
若くしてこの研究所を任される身としては当然であり、それ以前からも年長の周囲の人々の信頼を得るには、そうあるべきだった。
そうして皆を引き締めた後、場を和ませるのはジュンの役目であった。
ともすれば厳しすぎる自分が、恨まれる事無くここまで来たのは、ジュンの気配りの賜物であった。
誰より、鉄也自身の精神がジュンに救われていた。
そんなジュンに対し、報いてやりたい、この笑顔を守りたいと思うのは当然のことだった。
その結果は、ここ数年のジュンの安らいだ日々に現れていると信じていた。
だが・・・

PPPPP・・・PPPPP・・・
私用の携帯電話が鳴った。表示を見ると【あなたのさやかだよ〜ん】・・・
いったいいつの間に登録したんだとため息をつきながら、電話を繋いだ。
「鉄也さん、その後いかが?」
「何のことだ、いきなり」
「しらばっくれちゃって、もう。ジュンとその後、いい事あった?」
「な!なにバカなこといってる!何もあるわけないだろう!」
「は〜ん、やっぱりね・・・ ね、ちょっとジュンのいない所で話せない?」
「ジュンなら明日までここには戻らないが・・・ 何を企んでいるんだ?」
「まぁまぁ、いいから。話は後でゆっくりね。10分後にはそちらに着くから。じゃ!」
それだけ言われると、有無を言わせずさやかに電話を切られた。
・・・あのさやかのことだ。自分の中のモヤモヤとしたものなんぞ、とっくにお見通しか・・・
鉄也は頭を掻きながらも、いい気分転換になるかとも思った。
・・・ジュン以上に遠慮なくズケズケ俺にモノを言ってくるのは、あのお嬢様だけだからな・・・まあ、適当にあしらうか・・・


「あいつはなぁ、男の純情ってヤツをまったくわかってないんだよ!!」
賑やかな居酒屋の店内に、鉄也の声が響く。一定量以上呑むと本音を叫びだす、そんな鉄也の酒グセを熟知したさやかの勝利であった。
「ふんふん、なるほど。わかるわ〜、鉄也さんのツラァい気持ち・・・ それで、鉄也さんはジュンにどうして欲しいわけ?」
鉄也のコップにじゃんじゃん酒を注ぎながら、さやかは尋ねた。
「俺?・・・俺はだな、ただ、あいつに大船に乗った気で寄りかかってきて欲しいだけなんだ!!」
「・・・私に比べれば、ジュンは頑丈な超合金の船に乗っていると思うんだけど・・・ ね、もひとつ聞いていい?」
「おお!おとこ度胸だ!どーんと来い!」
「ジュンに好きって言ってあげた?」
「・・・え?」
「え、じゃないの。俺はお前が好きだって言ってあげたの?言ってないの?」
「言ってたら、こんな苦労はしない!」
「そんなこと、偉そうに言う事じゃないでしょ! ったく、だらしないなぁ・・・」
「お?すると何か? あのハネ上がったモミアゲの単細胞ヤローは、お前さんに・・・」
「私のことは、どうでもいいの! 今、重大な危機は、鉄也さんとジュンに迫っているの!」
「そおなんだよなあぁぁぁぁ・・・」
膳の上に突っ伏した鉄也を見て、さやかは舌を出した。
・・・鉄也さんだけの危機なんだけどね。ジュンは全然知らない事だし。鉄也さんて面白いぐらいにノってくれるなぁ〜
  それにしても、お節介というのは楽しいな。他人の恋路に関しては、もっと楽しい。うまくいけば、もっともっと楽しい。
「ね、この際思い切ってジュンにキッチリ告白したら? うん、これはオトコとしての義務よ!」
「・・・それしかないか・・・ よし、今なら言える!」
そういうと、上着のポケットから電話を取り出した。さやかは慌てて、鉄也の電話を取り上げた。
「お酒の力、借りるんじゃないの!! ちゃんとジュンの目を見て言うの!」
「じゃあ、明日、研究所でか?」
「ちょっとムードに欠けるわね・・・どこかに誘って、デートでもすれば? なんだったら旅行にでも・・・」
「どこかって・・・ どこだ?」
「う〜ん、何て言うか、しっとりとした・・・ あ!最近友達が津和野に行ったって言ってた。あそこなら、なんかいいかも・・・」
「津和野か・・・ 津和野と言えば、SL蒸気が走ってるな・・・」
「機関車乗ってどうすんの! なにファミリーなこと言ってるんだか・・・大人の男と女、のんびり歩くのよ、街を。
 京都と違って修学旅行生も少ないし、SLの走らない平日なら街も静かだし・・・」
「女好みの旅行だな・・・ もっと、心身共に鍛えられる・・・」
「そんなのはひとりで禅寺でも行きなさい! 何が目的か忘れてない?」
「おおっ! 津和野万歳! 生涯で一番の思い出の地となるだろう! ありがとう!!」
そう言うと鉄也は、さやかの両手を握り締め、ブンブンと上下に振った。
「そうよ!おめでとう、鉄也さん!お幸せにね!!」
一抹の不安がよぎりはしたが、嬉しそうな鉄也を見ると、まあいいかと思うさやかだった。

かなり深酒が過ぎた鉄也に肩を貸し、やっとの事でさやかは鉄也の部屋の扉の前に到着した。
「ふぇ〜っ、くたびれたぁ・・・ 鉄也さん、お部屋ですよぉ〜」
深夜なので声を落とし、さやかは鉄也に声を掛けた。鉄也はなんとか歩いているだけで、ほとんど意識なくここまで辿り着いた。
「ン? オオッ!そうか、俺の部屋か!」
「しーっ!静かに! じゃ、私はこのまま帰るから。明日はガンバってジュンを誘うのよ」
「ウッス! 今日の事、ふっかーく感謝! この恩は忘れないぞ! さやかさん、キミは本当にいいヤツだ!」
「男の人にいいヤツって言われてもね・・・」
「おお!そうだな! 俺はお前が好きだ!!」
「それは旅先でジュンに言うセリフでしょ。とにかく静かにしてよ、みんな起きちゃうよ」
「甲児なんかにはもったいないぞ! 好きだ!好きだ!結婚してくれーっ!!」
「はいはい、判りましたから、おとなしくしてちょーだいね。それにしてもココの人達、よく寝てられるわね・・・」
「うおーっ!! 俺はさやかが好きだあああぁぁぁぁぁ!!」

静かな廊下に鉄也の声が響いているのだから、同じフロアに住む所員に聞こえないはずはなく、皆、ただ関わるのが恐ろしいだけだった。
ましてや、予定を切り上げ、鉄也の部屋の隣の自室に戻っていたジュンの耳に、鉄也の繰り返される絶叫が届かないはずはなかった。


翌朝、鉄也は二日酔いの頭を抱えながら、不穏な空気に満ち溢れたダイニングホールに入ると、ジュンが朝食を摂っていた。
「戻っていたのか。で、どうだった?」
「・・・・・・こちらは順調。そちらも遅くまでお疲れ様。ご機嫌だったみたいで何よりですこと」
「え? ああ、昨日突然さやかさんが訪ねて来て、一緒に晩飯を食っただけだ。何むくれてるんだ?」
「一緒に御飯食べて、楽しくお酒飲んで、ついでに愛の告白したのね」
「ああ、そうだ・・・って・・・愛の告白? なんだ、それは?」
「もういい!聞きたくない!」
そう言い捨ててジュンはホールから出て行った。
何のことかさっぱり覚えていない鉄也に、古株の所員が勇気を出して、深夜の鉄也の告白劇を再現して聞かせた。
ぼんやりと思い出した鉄也は、まるで他人事の様になるほどと納得した直後、背中に流れるひとすじの汗を感じ、慌ててジュンを追った。

ジュンの部屋の閉じたドアに向かって、鉄也は大きくひとつ深呼吸をした。
「おい、開けるぞ」
「別に鍵は掛かっていないわ」
ドアを開けると、背中を向けたジュンが窓の外を眺めていた。
「何か御用?」
「ゆうべのアレは、全くの誤解だ。というか、飲み過ぎて何を言ったのか覚えていない・・・」
「そうね、飲み過ぎて、つい気持ち曝け出したのでしょうね」
「だから、誤解だ! そうじゃなくて・・・」
「・・・わかってるわよ、そんなこと。可愛い妹にちょっと甘えてみただけなんでしょ」
「アレのどこが可愛い妹なんだ? それはとにかく、誤解とわかっていがらその態度はなんなんだ。お前らしくないぞ」
「・・・らしくないって、私らしいって何? 鉄也にとって私って何なのよ! 戦闘のパートナーから便利な秘書になっただけ?」
「おい、少し冷静に・・・」
「冷静に!冷静に!冷静に! いつもそればかり! 反発する事も甘える事も許されないの?!」
ジュンは一気に叫んだ。瞳は涙で溢れていた。
「ジュン・・・」
「鉄也はいいわよ、甘えられる人が見つかって・・・さやかといる時の鉄也、私には絶対見せない優しい顔してる・・・」
ジュンの言葉は、今、自分の内のもやもやした思いと重なった。それに気付くと鉄也は急に力が抜け、ソファにドサリと腰をかけた。
両膝に手のひらを当て暫くは俯いていたが、ククッと笑いがこみ上げてきた。それを聞いて益々怒りを増したジュンは、鉄也に迫った。
「いったい何が可笑しいのよ!!」
ジュンの振り上げられた腕を軽く掴むと自分の隣に座らせ、鉄也は大きくため息をついた。
「・・・まったく、俺達は余程似ているんだな。育った環境が一緒だから、それも当たり前か・・・
 誰にもやれない事が出来るのに、誰にでもやれる事が全く出来ない。朴念仁もいいトコだ。これは育ててくれたあの人の影響だな・・・」
「・・・何言ってるの?」
「俺たちは昔も今も、同じ道を歩いている。今はとにかく、以前は四方八方敵だらけだった。気の休まる日が無かった。
 だからお互いの背中を合わせて、周囲を警戒しながら進んできた。そのクセが今も抜けていないんだな。背中を合わせたままだ。
 俺たち、そろそろ向き合わないか? 顔を見せてくれないと、お前が泣いている事すら気が付かない。俺は鈍いからな・・・」
鉄也の不器用な、でも精いっぱいの言葉が、ジュンの心に響き渡った。思えば、自分も鉄也の顔を見ることが少なくなっていた。
真っ直ぐに見つめた鉄也の瞳には、ただ真摯な暖かさだけが漂い、自分の中の不安や迷いを洗い流してくれた。
「・・・いいの? 後ろから狙われてても解らないわよ・・・」
「時々、こうすればいい」
そのまま鉄也はジュンを強く抱き寄せ、ジュンの肩越しに視線を向けた。
「見張りも出来るし、気分もいい。一石二鳥だな」
「・・・ずいぶんな言い方・・・本当に、朴念仁・・・」
ジュンも鉄也の肩に自分の頬を埋めた。鉄也の身体に染み付いた機械油の匂いも、今のジュンを優しく包んでくれた。


「旅行?」
「ああ。さやかさんが計画を立ててくれた。まぁ、その必要も無くなったわけだがな」
「でも、たまにはのんびり何処かへ行きたいわね。甲児くんやさやかさんも誘って」
「あの二人もか? のんびりどころか、エライ騒ぎになるぞ」
「それもいいんじゃない? ねぇ、あの二人はまだ背中合わせなのかしら?」
「背中合わせというよりは・・・ それぞれの違う道、でも目的地は同じ方向の平行線を同じ歩調で歩いているんだろう。
 だから時々横を向いて顔を合わせると、その度ケンカしてるんだろうな」
「ちょっとだけ手を伸ばせば届くのにね」
「今は伸ばしても、しっかりコブシを握っているがな」
「ウフフ、今頃何してるのかしらね」
寄り添いながら眺める窓の外の波は、静かに心地よく寄せ返していた。

「いーーーーっくしゅん! ちくしょ〜〜〜」
「甲児くん、ジジムサイくしゃみしないでよ」
「どこかの美人が俺の噂してるな。俺ってば、罪作りな・・・」
「何言ってんだか・・・ っくしゅ! やだ、うつっちゃったじゃない、タチの悪いバイキンが」
「俺のバイキンのどこがタチ悪いんだ? 多少は色気が出て、ひらべったい胸の栄養に・・・」
「・・・もう一度、言ってくれる?」
穏やかな海の研究所とは裏腹に、山の麓の研究所には恒例の大型台風が急接近していた。

 

おわり

 

BACK