ふたりの距離

鶏子

 

ある晴れた木曜日、さやかは二週間ぶりの休日を街で過ごしていた。
気候も穏やかで、ウインドに飾られた服も華やかではあったが、気分は曇りがちであった。
――― せっかく、また一緒にいられると思ったのにな・・・


1年ぶりに甲児が研修先から戻ってきたのは、ひと月ほど前のことだった。
久しぶりに見る甲児の顔は、何か大きな成果を掴んだか、自信に満ち、少年だった頃の面影が薄れ、精悍に見えた。そんな甲児を、さやかは頼もしく、誇らしく思えた。
しかし、心待ちにしていた再会は、さやかの想像とは少し違っていた。
周りのみんなと一緒のときは、以前と変わらない明るい甲児だったが、ふたりきりになると、妙によそよそしい。そうなるとさやかも昔のように、突っかかり、じゃれることもできず、会話も途切れがちになってしまっていた。また、互いに多忙で、二人の休みも合うことが少なく、ただ同じ職場の同僚という関係になってしまったように感じられた。
――― おとなになるって、つまんない・・・ 離れていたときのほうが、もっとたくさん
話ができたのに・・・


そして、今日もひとりでこうやって、ただ目的も無く街を歩いていた。
平日ということもあってか、人通りもまばらで、なにか活気に欠けていた。
そのなかで、ちょうどさやかの前を歩く子供の元気な声だけが、妙に目立っていた。
隣の母親と手をつないでるその5歳ぐらいの女の子は、買ってもらったばかりであろう、ピンクのリボンを機嫌よく振り回していた。
すると、風に飛ばされ、リボンはさやかの足元にひらりと飛んできた。
さやかがしゃがんで拾い上げると、女の子は母親の手を離し、さやかのほうに駆け寄った。
「どうもありがとう」
「はい、どういたしまして」
そう答え、女の子が母親のほうを向き、戻ろうとしたときであった。
「あぶない!」
どこからか、男の叫ぶ声がした。建設中のビルの上のほうから、窓ガラスが落ちてきたのであった。
さやかは反射的に女の子を抱え、体を丸くする。
GWASYAAAN!!
次の瞬間、さやかが目にしたのは、ただ赤い風景だった。


甲児は一息入れようと、他の所員とともにコーヒーをすすっていた。
RRRRRR RRRRRR・・・・・・
所員の一人が、電話に出て、ひと言ふた言話すと、少し困ったような顔で甲児を見た
「すいません、交換からなんですが、外から電話でさやかさんの家族の方にって・・・
 所長は出張でしたよね」
「ああ、今朝出られた。いいよ、俺が聞く」
そう甲児が言い、受話器を取った。


電話を切った甲児の顔は、凍りついていた。
回りの驚く声に甲児は、
「ああ、大丈夫、ちょっと出てくる」
そう言うなり、駆け出していった。


病院からの電話では、結局さやかはガラスの破片で腕を切ったが、大きな怪我は無かった。ただ、1メートル先の惨劇を直視した為、ショックで言葉を出なくなっているということであった。
――― 俺がついていれば・・・
車をとばしながら甲児は、自分が光子力研究所に戻ってからのことを振り返った。
おかえり、と目を少し潤ませながら微笑んださやかは、自分のよく知るさやかと少し違っていた。ひとりのおとなの女性として、静かにそこに立っていた。
自分の鼓動が、周りの人間に聞こえるのではないかと思うくらい、強く激しく鳴った。
ふたりきりになると、妙な緊張ばかりが先走り、何もいえなくなっていった。
――― せっかく一緒に暮らせるようになっても、これじゃ離れていたときと変わらない、
    いや、それ以下だ。手を伸ばせばそこにいるのに、心はどんどん離れていく・・・
    何の為に今まで、はなればなれになっても、がんばってきたんだ・・・
    以前の様に、当たり前に一緒に暮らし、一緒に笑う、その為だったんじゃないか!
    俺は、いったい何をやっていたんだ。
    何年たっても、ちっとも成長しない、ガキのまんまじゃないか・・・
    ごめん、さやか・・・ すぐに行く・・・


病院に到着し、受付でさやかのことを尋ねると、第五処置室にいるということだった。
教えられたとおり、少し奥まったほうへ進むと、なにやらひと気が無く、さやかは無事と判っていても、蒼ざめ、寒気を憶えた。
やっと部屋の前に付くと、中から看護婦が一人出てきて、ちょうど点滴が終わったということであった。軽く頭を下げ、甲児は部屋に入った。


ベッドに目を閉じて横たわるさやかを見て、甲児はそっと声をかけた。
「さやか・・・ 大丈夫か?」
その声に驚いたように起き上がり、さやかは返事をしようとしたが、ヒューというかすれた音がするだけで、声にはならず、うっすら涙を浮かべ苦しそうにむせた。
甲児は、さやかのもとに走り寄って、抱きしめた。
「いい、無理しないでいい・・・ ごめん、側にいてやれなくって・・・ 怖い思いさせて・・・」
あわててさやかは、甲児くんのせいじゃないと言わんばかりに首を振った。
なおも、甲児は続けた。
「せっかく又一緒に暮らせるようになったのに、気のきいた事、何も言ってやれないで、
 俺、情けないよな・・・ ちっとも成長してないよな・・・ ごめんな・・・
 さやかを久しぶりに見たとき、すごく綺麗になってて・・・
 ああ、もう前みたいに、ふざけあうことができないんだ、あの頃には戻れないんだ
 そう思ったら、なんか寂しくなっちまって・・・
 でも、やっと気が付いたんだ。戻ることなんて必要ないんだよな。
 俺たち、一緒に歳とっていくんだもんな。これからは、ずっと一緒だよな・・・
一緒に・・・ ふたりで・・・ ああ、畜生・・・ 俺、何が言いたいんだ・・・
やっぱり、俺、ガキだ。立派な大人ってこういうとき何て言うんだよ・・・」
「・・・・・・ん・・・」
「! さやか?!」
「・・・じ・・・ん・・・ ・・・じくん、こうじくん、甲児くん!!」
泣き声を上げながら自分を呼ぶさやかの声が、はっきりと聞こえた。
「・・・ああ・・・ ありがとう・・・」
何に向かってか、分からなかったが、甲児は深く感謝した。


医者の許可が出て、二人は肩を寄せ合いながら、その部屋を出た。
廊下に出ると、奥の扉が一瞬空いて、中から看護婦が出てきた。と、同時に、防音扉の向こう側のほうから、悲痛な男の叫び声がもれ聞こえた。
多分、あの女の子の父親であろうと、さやかは思った。優しそうに微笑みながら、さやかに軽く頭を下げた若い母親。その直後、さやかが目にしたのは・・・
あの時、リボンが風に飛ばされなければ、それを拾い上げなければ、間違いなく自分はあの母親とともに・・・ あの子もあの光景を見てしまったはずだ・・・
再び蒼ざめたさやかから、甲児はその時の事を告げられた。全身があわ立った。
あの叫び声を上げていたのは、自分だったかもしれない。
あの声の主と自分は、ほんの1メートルの距離しかなかったのだ・・・ 
さやかの肩を抱く手に、思わず力がこもった。さやかも甲児の背に腕をまわした。
二度と、絶対に離すまいと固く・・・


病院の外に出ると、さやかは振り返り、つぶやいた。
「あの女の子、どうなるんだろう・・・」
「大丈夫。時間はかかるかもしれないけど、きっと立ち直る」
根拠のない言葉ではあったが、今はそれを信じるしか、さやかにはなかった。

 

おわり



 

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