月の人魚

作:成也

(4)

 火の手が次々と燃え上がっていく中、船内の人々は慌てふためき我先にと船から脱出していく。
 その逃げまどう人々とは反対方向に走って行くさやか。
 混乱が続く船内の中で、争う二つの人影。
 相手から勢いよく、床にたたきつけられる甲児。
 唇が切れ、血がにじむ。
 抵抗しようとする甲児を更に強い力で、ねじ伏せようとする紳士。
 勝ち誇った不敵な笑い…そして、甲児は肩を足で押さえつけられ、身動きが取れずにいた。
「甲児君は? 甲児君はどこ?」
 さやかは、必死に甲児を捜し求める。
「おい君、早く逃げないとこの船ごとやられてしまうぞ」
 逃げる人々の中で、さやかを気にとめた一人が声をかけてくる。
 さやかはそれでも、その言葉を振り切り探し続ける。
 紳士は甲児の顎に手をやり、顔を上向けさせた。
「ここまできて、まだ何も思い出せないのかね? 甲児君。せっかくこの私が幾度となく君に過去を早く思い出させてあげようと色々と手助けしてやったというのにねぇ。しかし、その度に君も実に運良く切り抜けたものだ。このペンダントを海に投げ込んだ時もそうだった。君は必死に船内を探し回っていたが、それが見つからないと察するや私の思惑通りに勢いよく海へ飛び込んでいってくれた。私にとっては、最もこの時が一番の賭けだったがね。上手くいけば、君の記憶が一気に戻る可能性もあったはずだが、下手をすれば一度に全てを失ってしまうのだからな。暗闇の中からいきなり剣で切りつけても、それをかわしてかすりキズ程度だったし。最も、他の人間共があの時部屋へ入ってさえ来なければ、君もこの程度の怪我では済まなかっただろうが。くくく、まるで君には海の守り神が付いているようだ」
 甲児の胸元のペンダントを引き寄せ、紳士の冷酷な言葉は更に続く。
「恨むなら君の家族を恨むのだね。世にも珍しい鉱石を発見しておきながら、結局他の誰にも告げず旅立ってしまったのだから。あの世へね…」
 甲児の視線が彼方を探るかのように、遠く宙をさまよう。
「おやおや、本当に記憶がどこかへ飛んでしまったままのようだな。フフ、まあいい。私が全て話してあげよう。あの日の事を全部ね」
 紳士は甲児を部屋の中で燃え上がっている炎の方へ向かせる。
 顔をそむける甲児。
「どうやら無意識のうちに炎は覚えているようだな。そうだ、あの時も今のようにお前達の商船を焼き払ったのは、この私だ。最大の魔力を持つ私は常にこの海を、世界を我がものにしようと狙っていた。そんな時、人間界のお前の家族が強度の硬さとそこから抽出される無限のエネルギーを放つ光る石を見つけ出した。
 私は人間の世界へ入り込み、お前の家族と接触を持った。奴等は全く私を疑おうともせず、私を温かく迎え入れてくれたよ、友人としてね。だが、一向にその石の事については語ろうとはしなかった。私と組めば、巨額の富を手に入れ何不自由なく暮らせるというのに人間の分際で逆らいおって。だから私の力で、船ごと始末してやったのだ。
 ではなぜ、お前だけを残したのか?
 お前は家族から光る石の秘密を何か託されたはずだ。唯一、お前が持っていた物…光る石で作られたそのペンダントが何よりの証拠だ。だが、この時のショックでお前は石の事はおろか自分の記憶と言葉さえも失くしてしまったようなので、お前を私のこの船に乗せ監視していたのだ」



 紳士に助け出された日の事が、甲児の脳裏に甦る。
 自分の家族と親交があったという紳士は、甲児の後見人として面倒をみてくれるようになった。
 誰も見知らぬ中、信じようとしていた人物が実は全ての糸を操っていたとは…。
 それでは記憶の中で、自分を切な気に見ていたあの瞳は…。
 炎の中で力尽きた手は…ま、まさか、家族だったの…か。


「だがいつしか、お前は自分が危険にさらされていると感じ取り、その原因を探ろうとした。それを知って、私がおとなしく見逃すと思ったのかね? さあ、言うのだ。この石の残りはどこにある? 採掘した場所は?」
 紳士は、甲児の首を締めつける。苦しさに歪む甲児の表情。
「甲児君、危ないっ」
 駆け込んできたさやかが、短剣をかざして紳士に向かっていく。よける男。
「これは、これは人魚の姫様。どうして、こんな所へ? 本当に人間になられたのですねぇ」
 そう言いながら紳士は、服のほこりを払う仕草。
「よくも、そんな事が言えるわね。こんなひどい事をしておいて。貴方、一体何者なの?」
 甲児をかばうようにしながら、さやかは男に向かって言い放つ。
「お姫様にも聞かれてしまいましたか。私とは既にお目にかかっているはずですぞ。だが、今の貴方に何ができますかな? しかも、そのような古びた短剣で」
 確かに短剣の事は、さやかにもわかっていた。
 短剣は長年、人魚の一族の間に伝わってきた物であり、柄の部分には〈真実あらば、奇跡となる〉という文字が刻み込まれている。
 以前さやかは父からこの短剣を見せてもらった時に、短剣にまつわる武勇伝とそれを手にした父の誇らしげな表情をよく覚えていた。
「それが真の伝説の剣ならば、今すぐここで、この私を倒せるはずだが? どうした?? 何も起こらぬではないか。やはり、ただの作り話だったのだ。そんな物を秘剣として崇めていたお前達一族も、哀れな事よ」
 そう、奇跡など何も起こりはしない。
 圧倒的な強さを持った男の前に何の力もなく、後ずさりするだけの自分がいる。でも、それでも…どんなにかなわない相手とわかりながらも、今ここから退くつもりはさやかには無かった。
 守りたい…甲児君を。自分の命に代えても。
 甲児は必死にさやかをこの場から離れさせようと、力を込めて促す。
「嫌よ甲児君、私、絶対逃げないわよ。逃げないって決めたの! 貴方からも…そして、自分からも」
(さや…か・さ…ん)
「おやおや、せっかく甲児君が貴方を巻き込むまいとして遠ざけたというのに、彼の願いも聞き入れずに頑固な方だ。どうして命も短く特別な力も持たない人間などに憧れたりするのか、わかりませんなぁ〜」
「わかるものですか! 貴方なんかに、この気持ちがけっしてわかるもんですか!!」
 さやかは再び男に挑みかかるが、軽く突き飛ばされてしまう。
 が、さやかの短剣が男の手をかすったようだ。男の手から、かすかに血が出てくる。
 その血を見た男は、
「ほほう、完全に私を怒らせたようですな。そんなに死にたければ、二人一緒に始末してあげますよ」
と、一段と不気味に笑う。
 男が手を揚げると、雷鳴が炸裂し高波が一挙に船に向かって押し寄せてくる。その勢いに安定を保っていられず、床の上に甲児とさやかは転がり込むように倒れゆく。
「あっ、あれは!?」
 波の間から、もう一つの姿が現れる。その姿にさやかは、はっきりと見覚えがあった。
 忘れるはずもない…
「あしゅらの魔女!!」
「その通り、普段はこの通り体を使い分けているが、実の正体はこれさっ」
 紳士と海の魔女が混じり合うように合体すると、そこには体半分ずつが男と女に分かれた異様な形相の人物が出現した。
「お前の父、海王とは長く宿敵として争ってきたが、こんな形で復讐ができるとはねぇ〜。お前が私の所へ人間になりたいと言って来た時から、私は勝利を確信したよ、ハハハ。さあ、覚悟おしっ」
 女の方が手を揚げると、またもや高波が船を直撃する。
「このままだと、やられてしまう」
 あせるさやか。
と、その時咄嗟に甲児はさやかの短剣をつかみ、あしゅらの胸めがけてとどめを刺す。
「や、やったわ! 甲児君」
 だが、刺されたはずのあしゅらは何事もなかったかのように、笑う。
「そんな事で私が倒せるとでも思ったの? 私はね、急所の位置が常に一定してないの。いくらでも自由に置き換えられるから、不死身なのさっ」
 男女の声が入り混じって響く。
 あしゅらは余裕で短剣を抜き取り床に投げ捨て、甲児の胸元からペンダントの鎖を引きちぎってしまう。
「さあ、お言い! 光る石の秘密をねっ。今度は思い出すまで、容赦はしないよ」
 さやかは落ちている短剣を拾い上げる。が、それを見透かしたあしゅらは再び甲児を締め上げる。
「ちょっとでも動いてごらん。こいつの苦しみが増すだけさ」
 と吐き捨てる。
「甲、甲児君っ」
 そ…んな、どうする事もできないなんて。さやかは、打ち震える。
 貴方を救いたいのに、苦しめてしまうなんて…。
 自分に構わず、早く…あしゅらを…。そう告げたいのか、甲児の視線がさやかに哀願する。
「嫌、嫌よ、できないわ」
 あしゅらの起こした偽りの高波が収まり、夜の闇の合間から差し込んだ本物の月の光がさやかの頬を伝う涙を映し出す。
 その月の光が、ペンダントにも当たった時だった。
「おお、これは!」
 驚くあしゅらの前で、ペンダントから上空に向かって一直線に光線が発射された。
 そして光線の中で浮かび上がる島の地図と、そこに記された幾つもの印。
「まさしく、これこそが光る石のある場所。ははは、そうかこんな所にあったのか。これで、完全に全ての石を我が物にできるな」
 満足気なあしゅらに向かってペンダントを取り戻そうと、甲児が手を伸ばす。
「ええい、これはもはや私だけの物なのだ」
 あしゅらは自分の体の中へとペンダントを吸収してしまう。
 ほとばしるエネルギーが体内に満ちあふれ、ますます力を増幅させていくあしゅら。
「どうだ、これで取り戻す事は永遠に不可能となったのだ。諦める事だ!」
 もはや、これまでなのか…。
 甲児もさやかも、失意のどん底に落とされる。
 さやかの涙が短剣の刃に落ちた時だった。
 古く錆びついた色をしていた剣が、白く輝き出す。
「こ、これは…何!?」
 ズシっとくる剣の重さ。
 今までの短剣とは比べものにならない重量感。そして満ちあふれてくる短剣の放つエネルギーの大きさを、さやかは強く感じる。
 そして、驚愕のあしゅら。
「お前は…一体、何をした−?!」
 更に、奇跡は続く。
 あしゅらの体内に吸収されたペンダントが短剣の輝きに反応するかの如く、赤く光り出す。
 ペンダントのある場所−−−あしゅらの急所が、はっきり見える。
 さやかは短剣を強く握りしめると、急所めがけて突いてゆく。
 急所を攻撃されたあしゅらの力が緩む。
 その重圧からやっと逃れた甲児は、さやかと共に力を込めて更にとどめを刺す。
 あしゅらは凄まじい形相で二人を振り払うが、その直後膨大な光のエネルギーに包まれて、体ごと溶けていってしまう。
「きゃあ−−−−−−−−−」
 船が大きく揺れ動いた瞬間、さやかの体がフワリと宙に舞い海に投げ出されそうになってしまう。
 なんとか必死に甲板から突き出ている棒に手をかけるが、船の揺れの激しさと聞こえてくる波の高鳴りに力の限界を感じて、手がしびれそのまま海へ落ちていきそうだった。
「もう…駄目…だ…わ」
 さやかの手がまさに甲板から離れようとした瞬間−−−−−−
「さ…やか−−」
 もう一つの腕が、必死にさやかの腕をつかむ。
 ハッとして、見上げるさやか。
「甲、甲児君!!」
「あ…っう…」
 甲児が怪我をしていた方の手で、さやかを引き上げようとしている。
「甲児君、やめて! 無理しないで−、もういいの。私の事は…。早くこの船から逃げて! 甲児君!!」
 それでも甲児は諦めようとはしなかった。
 波の音が迫る。
「海(うしろ)を振り向く…な。俺の…方…を見て…信じて…」
 満身の力を込めて、間一髪甲板へさやかを引き上げる甲児。
 ホッとする間もなく、二人を最後の船の大きな揺れが襲った。
 バキバキと大きな音をたてて、船は大破していった。






 朝の光が、甲児とさやかの顔を照らしだす。
 昨夜の出来事が嘘のように、静かな海が広がっていた。
 海のど真ン中、流れてきた大きめの板きれに、かろうじてつかまる事ができて命だけは助かった甲児とさやかであった。
 さやかは、甲児にすがりつく。
「怖かった。海は故郷のはずだったのに、波が迫ってきて押しつぶされそうで…怖かった。でも、夢じゃないのね。あの恐怖の中で貴方の声が聞こえたのは…」
 甲児は頷く。
「君を…助けなきゃと必死だった。まさか、声が…戻るなんて…」
 しかし、声が出るようになったとはいえ、まだ話すのが少しつらそうな様子の甲児。
「馬鹿だ…よ、君は。どうして、人間なんかに…。海の中でいくらでも、平和に暮らせるっていうのに」
「人間になった事は、悔やんでないわ、ただ…」
「……?」
「ただね、人魚だった時のように甲児君の思っている事を全部わかってあげられなくなってしまったの。もう、私はその力を失ってしまった。だから、そんな私が貴方のそばにいてもいいのかな…って、自信がなくて」
「いいんだよ、それで…」
「えっ?」
「わからないからこそ、互いにわかり合おうとする。だから、人間なのかもしれない」
「甲児君…貴方が一人だけで寂しく逝こうとした旅なんて、私認めない。絶対、許さないんだから…。どこまでだって、一緒についていくんだから」
 甲児はそんなさやかを見つめながら、
「記憶を全て取り戻す為にも家族の意思を継いで、これからは本当の冒険の旅に出る。もう石も剣も何も無い、ちっぽけな人間として。苦しい事ばかりかもしれない。この航海はきっと…」
「でも、きっと後悔は…しないわ」
と、さやか。
 互いに見つめ合い、軽く笑い合う二人。
 やがて、互いの唇が静かにそして深く重なり合う。
 そう、それはこれからの新しい旅立ちへの誓いの証。



−−−人々が大海原に夢と希望を抱いた大航海の時代、
                              これは、その海での一つの恋の物語−−−

 

 

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