SEPTEMBER RAIN

鶏子

 

2基のエンジントラブルと、悪天候のため、その日のフライトは、欠航となった。
明朝の出発に延期となり、今夜は、航空会社の用意したホテルに待機することとなった。
「まいったな・・・」
空港の出発カウンターで、さやかがつぶやくと、隣から同じつぶやきが聞こえてきた。聞き覚えのある声で…
「あ・・・・・・・・・」
「あれ? えっ? さやか・・・ なんでこんなところに・・・  あ、ああ、いや、久しぶりだな・・・」
あの9月のドシャ降りの日から三年ぶりの、甲児との偶然の再会であった。



初めは、いつもの他愛のない喧嘩であった。
普段なら、まず、さやかが甲児に向かって回りにあるものから投げつけ、一発貰った甲児が投げ返す。
そして、手元に投げるものが無くなるか、さやかが疲れ果てる頃、父が間に入ってきて、いつまでも大人になりきれない二人を叱る。一暴れしてスッキリした二人は、その後、笑いながら部屋を片付ける。
これがいつものパターンであった。
その日は、すべての悪条件がそろってしまった。
第一に、さやかは腕を軽く捻挫し、力が入らなかった。相手が怪我をしているのでは、甲児も手を出せない。
外の長雨も手伝ってイライラが募り、ふたりの口喧嘩が止まらなくなっていった。
第二に、呆れることなく二人を止めてくれる唯一の人物が、その日は不在だった。
口論はエスカレートし、甲児もいつもの、からかうような口調ではなくなっていった。
「いい加減にしろよ! 言っていいことと、悪いことがあるんたぜ!!」
「お互い様でしょ! なんで甲児くんに、そんなこと言われなければなんないのよ!!」
「言ってわかんないような奴には・・・」
そういうと、甲児は、さやかの頬を叩いた。
さやかは、信じられないといった顔をし、
「怪我人に向かって・・・ 最低! 大嫌い! 二度と顔も見たくない!!」
そう叫んで、さやかは、部屋から飛び出していった。
一度後ろを振り返ったが、追いかけてくる様子もない。
そのまま駐車場に向かい、ドシャ降りの中、車を走らせた。
いつもなら、ジュンに話を聞いてもらい、なだめてもらいつつ送り返されるのだが、第三の悪条件に、その日のジュンは、鉄也と二人で1週間の休暇旅行に出ていた。
特にあてもなく、東京へ向かう高速に乗った。
3日ほど自宅に連絡もせず、ショッピングや、知人とひと時を過ごして、機嫌をやや直し、研究所に戻ると、甲児の姿がなかった。
「いったい今までどこに行っていたんだ、さやか。昨日甲児くんは、アメリカに出発したぞ」
「えっ、でもお父様、出発は来週じゃなかったの?」
甲児は、週明けから、半年間の研修に向かうはずであった。
「それが、以前、留学先で身の周りの世話をしてくれていた方が、急に亡くなって、その葬儀に参列するため、少し早めの出発となったんだ。」
「そう・・・ なにか言っていた?」
「いや、かなり慌てて出て行ったからね。約束でもあったのかね?」
「ううん、そんなんじゃないわ・・・ ああ、これ、おみやげよ」
父に包みを渡すと、さやかは自室に戻っていった。
包みを開けると中には、父には少し若すぎるシャツが入っていた。

――― 知らない。メモのひとつも置いていかないなんて・・・ 絶対、こっちから連絡なんてしてやらない。

遠い空の下でも、もう一人、頑固な意地っ張りが、同じことを思っていた。



初めのうちは、なんだかんだ言っても帰るところはここなのだからと、互いにたかをくくっていたが、片方が戻ると、もう片方が出向だの、研修だので、見事なすれ違いが続いた。
もともと、けんかしても謝ることなく、あやふやのうちに仲直りしていた二人だったので、時機を逸すると、ますます話をするきっかけがなくなっていった。
ホームグラウンドである光子力研究所に戻れば、互いの所在はわかっていたが、連絡する口実も特になく、周りのやきもきする声を鬱陶しく感じ、さやかは国外研修に進んで参加していった。


一年を過ぎる頃になると、さやかは、甲児の気持ちも自分の気持ちもわからなくなり、心に一抹の寂しさは感じるものの、一人でも生きていけるのだと思い込み始めていた。



こうして、三年の月日は過ぎ、ふたりは24歳となっていた。
今回さやかは、ドイツの大学の客員講師として招かれることになった。
一方甲児は、種子島宇宙航空局に新設される、日本初の宇宙軌道エレベーターの建設チームに参加していた。
ひと月ほど同じ日本にいながら、特に連絡もせず、来月には甲児も仕事を終え、戻ってくるというので、少し早めではあるが、九月中に出発を決めたさやかであった。


「えっ、ええ、本当にお久しぶりね… 今日は、どうしてここに? どちらかに行くの?」
「いや、お客の見送りだ。ブリュッセル大学のシュミット博士ご夫妻。今日帰国の筈だったんだが・・・」
「そう、偶然ね。私もブリュッセル大に向かうところだったの。同じ便だったのね」
MR.KABUTO、と、呼ぶ声が聞こえた。
「あ、おふたりを紹介するよ。ラウンジへ行こう」
一瞬、戸惑ったが、老夫婦のほうへ向かい歩き出す甲児の後を、さやかは半ばあきらめて付いていった。


シュミット夫妻は、楽しく穏やかな老夫婦で、さやかも先ほどの凍りつくような瞬間をほぐす事ができた。
ロケット工学の権威である博士は数年前心臓病を患い、出張先はいつも婦人が同行するということであった。
老いた夫婦が手を取り合い歩く姿は、なんとも微笑ましく、今のさやかには胸に痛いほど深くしみた。
航空会社が旅客を振り分けた宿は、夫妻と同じホテルだったので、4人はそちらに向かい、夕食を楽しんだ。
見送りの甲児には、当然部屋は用意されていなかったので、さやかは自分が責任を持って案内すると、甲児に申し出た。
一度は、頼むよと任せた甲児だったが、暫く考えた後、思い直した。雨の中を小型機で帰るのも危険であるし、ホテルにまだ空きもあるということで、結局出発まで付き合うこととなった。


夕食を終え、夫妻が自室に向かった後、甲児はさやかをホテル内のバーに誘った。
小さな緊張感がよみがえったが、断る理由も見つからず、さやかは甲児の申し出を受けた。


ふたりは、ここ3年の互いの仕事の概要・成果を語り合った。専攻は違っても、全くの無縁ではないので、興味深く、思いのほか充実した楽しい時が過ぎていった。
日付が変わろうという時間になり,甲児は、さやかに言った。
「ごめんな、付きあわせちゃって。そろそろ部屋に戻るか」
「ええ。そうね」
そういって立ち上がろうとした瞬間、甲児は足をよろめかせ、膝を落とした。
「大丈夫? 立てる?」
「ああ、悪い。ここんとこ、睡眠不足が続いたから。それとも飲みすぎたかな?」
そう甲児は答え、ゆっくりと立ち上がり、フラつきながら歩き始めた。
そのまま放っておく事もできず、さやかは肩を貸して甲児の部屋へ向かった。


部屋に入り、やっとのことで甲児をベッドに腰掛けさせると、
「じゃ、おやすみなさい。また明日」
そういい、自分の部屋に行こうとした瞬間、後ろから甲児に腕を掴まれ、そのまま抱き寄せられた。
「! ちょっ・・・ やめて、はなして」
「できるか、やっと捕まえたのに・・・ 何年かかったと思ってるんだ。鬼ごっこはおしまいだ」
そういうと、さやかの体を強引に倒し、唇を押しあてた。
もがき、抵抗したさやかだったが、かなうはずもなく、そのうちなぜか情けなくなり、だんだん涙が溢れてきた。
甲児は、唇を這わせ、涙をぬぐった。
「・・・・・・んで・・・・・・」
「ン?」
「なんで・・・ 今まで、なんにも言って来なかったのよ・・・ 全然連絡もくれないで・・・ 放っておくだけで・・・」
「逃げるからだよ、きみが」
「逃げたって居場所ぐらい判っていたんでしょ。ひどいわ・・・ やっと、ひとりでも大丈夫と思えるようになったのに・・・」
「何言っているんだ、そんなのお互い様だろ。俺が、光子力研究所に帰るっていう頃になると、さやかは何処かへ行っちまうくせに。そんなんじゃあ電話しても切られるのが関の山だろうし、繋がったとして話がこじれるのも面倒だし。ちゃんと顔見て、とっ捕まえて逃げられないようにしとかないとな。それに、逃げているって事は、俺のこと、メチャクチャ意識してたからだろう。本気で俺のこと忘れていたら、ああも見事に避けられるわけないんだから。図星だろ?」
「! ひどい! 自惚れや! うそつき! 酔って立てないフリまでして・・・ ずるいわ・・・ こんな・・・」
「だって、図星なんだろ?」
「違う・・・ そんな・・・ 違うわ・・・」
「図星だろ」
「・・・・・・・・・・・・」
「俺のこと、忘れたことないだろ」
「・・・・・・ ン ・・・・・・・・・」
「俺もだよ。忘れることなんて、できるわけないよ。
 会えなくたって、不安はなかった。自信があった。
 俺はさやかでなくちゃダメだし、さやかも絶対に俺だけだって・・・
 愛してる。この気持ちは、どんなに離れていても、どんなに会えなくても、決して変わらない」
くやし涙は、喜びの涙に形を変えて、またさやかの瞳から溢れ出した。
しかしそれも束の間、明日にはまた、はなればなれになる事を思い出し、さやかは甲児にしがみついた。
「もう離れるのはいや。いつも一緒にいたい。もうひとりぼっちになるのは怖い・・・」
そう言うさやかの悲しみを吹き払うように、強く抱きしめ、再び唇を重ねた。


会えなかった日々は、幼すぎたふたりの関係を大きく変えていた。
以前の甲児からは全く想像のできない、さやかの知らない、『男』が、そこにいた。
あまりに荒々しく責め立てる甲児に、何度もさやかは哀願した。
「・・・・・・お願い・・・ もう・・・」
「だめだ。会わなかった三年のブランク、いや、出会ってからの全ての思いを埋めるんだから。
 こんな一夜で足りるものか。今までの罰だと思って、おとなしく諦めろ」
「だってそんな・・・ 私・・・ 今日が・・・」
「かまってられるか。遅すぎたんだよ、こうなるのが・・・
 明日、空の上でゆっくり眠ればいい。俺なんか、午後には仕事だ」
そう乱暴なことを言うと甲児は、小さく震えるさやかのなかに、熱い命を解き放つ。幾度も、幾度も。


翌朝、甲児は出発ロビーでシュミット夫妻に挨拶を告げると、少し離れた所で立ちすくむさやかの元に歩み寄った。
消え入りそうに悲しげなさやかをよそに、甲児は明るい笑顔で声をかけた。
「向こうでの住まいは、決まっているのか?」
「当分の間は、大学が用意してくれてる所に御世話になるわ。落ち着いたら、改めて探すつもり。決まったら、連絡するわ」
「うん、それなんだけど、ちょっと広めのトコ、探しといてくれ」
「? え?」
「今回、シュミット博士から、研究の手伝いをするよう依頼を受けたんだ。しばらく光子力研究所でのんびり考えて、年内には返事をすると言っていたんだが、迷ってらんねえや。今、返事をした。今月いっぱいで種子島の方が終わったら、なるべく早くそっちに行く。一緒に暮らそう。とりあえず、二年は一緒に居られる。それからのことは改めて考えよう。かまわないだろ、もちろんイヤだと言っても押しかけるけど」
「・・・うん。待ってる。でも、すぐに来てね。本当は、これ以上、一秒だって待てないのだから・・・」
微笑に涙を浮かべ、さやかは甲児を見つめた。


さやかは機内から、甲児のいるであろう方を眺めた。姿は見えないが、きっと甲児も見ているだろう。
これから二年、いや、その先何十年もかけて、あのさびしかった日々を取り戻していこう。


あの日も雨は降っていた。今日も雨は降っている。
しかし、この今日の雨は、あの日とは全く違う、やさしい9月の雨だった。

 

END

 

BACK