早 春 の 風 景


written by 鶏子

 

五分咲きの桜が風に舞うある日のことだった。
それぞれの出向先より戻った二人にとっては、久しぶりに一緒の休日となった。

光子力研究所で、長年、手伝いを続けてくれていたみさとは、2年前、ある若手陶芸家の元に嫁ぎ、現在は、窯のある鄙びたこの地に、夫と二人暮らしていた。
2ヶ月ほど前に長女が誕生し、甲児とさやかは、祝いがてら、この幸せな家庭を訪れに来たのであった。


駐車のできる空き地に車を止め、坂道の途中の桜の下を、二人はのんびり歩いていた。
「出産祝いには、ちょっと遅すぎたかしら。」
「まあ、みさとさんなら事情はわかってくれてるよ。
俺は、あの夫婦に会うのは、結婚式以来か。さやかは?」
「私は、半年振りかな。ちょっとお腹が目立ち始めたころだったわ。」
「へぇ、ちょっと見てみたかったな、そんなみさとさんの姿。いや、見なくてよかったのかな。」
にやつく甲児を尻目に、ムッとしたさやかはひとりで先に歩き始めた。
――― 見せなくてよかったわ。人妻だろうが、妊婦だろうが、コイツは節操がないんだから ―――
うれしそうに微笑んでいたみさとの美しい姿を思い出し、さやかは小さくため息をついた。

小さな木戸を開けると、昔ながらの小さな家があった。
「こんにちは」と、戸を開けると、奥からみさとが現れた。
「いらっしゃい、二人ともお久しぶり。こんな田舎まで、わざわざありがとう。
 どうぞ上がってちょうだい。」
「おじゃまします。はい、これ、私たちからのお祝い。赤ちゃんは寝ちゃってる?」
「いいえ、今ミルクを飲み終わったところ。ご機嫌よ。会ってあげて。主人もすぐに戻ってくるわ」
「ごぶさたしてます、みさとさん。名前はなんてつけたんです?」
「優しい香りで、優香(ゆうか)よ」
久々の再会ではあったが、一瞬にして、共に戦った十年前へと戻れる3人であった。

居間に入ると、この世の満足をすべて手に入れたような赤ん坊が、畳の上の小さな布団の中で、人の気配のするほうをじっと見つめていた。
「うわぁ、カワイイ! ね、ね、抱いていい?」
瞳を輝かせて、さやかは優香に近寄った。
「もちろんよ。あ、でもちょっと待って。授乳後のゲップをさせないと・・・」
「私、やってみたい。ね、かまわないでしょう」
「おい、大丈夫なのか?」
怪しげに甲児がさやかに尋ねると、みてらっしゃいと云わんばかりに、さやかは優香を膝の上に抱き上げた。
「優香ちゃん、はじめまして、さやかです。よろしくね」
と、おぼつかない手つきで、さやかは優香の背中をトントンとたたいた。
しかし、優香は機嫌よく抱かれているだけだった。
「ほら、ちょっと貸してみろよ」
そう甲児が言うと、こなれた様子で優香を抱き上げ、自分の肩に優香の顎を乗せると、背中をなで上げながら軽くたたいた。
すると優香は、胃の中の空気を大きく吐き出した。

感心した顔でみさとが、
「へえ、甲児くんにそんな隠し芸があったとはねぇ」
「な〜に、シローが生まれて、すぐに両親が亡くなったでしょう。結構、俺がんばったんですよ」
「だって、あなただってまだ子供だったんでしょ。面倒見てくれる方はいなかったの?」
「いるにはいたんですがね、俺自身がなんか意地張っちゃって」
そうやって、自分の悲しみを紛らわせていた、5歳の甲児を思い浮かべ、さやかは一瞬胸が痛んだ。
しかし、それを吹き飛ばすようにさやかは甲児に言った。
「ねぇ、早く優香ちゃん抱かせてよ」
そういって、再び優香を抱き上げると、笑顔であやしはじめた。
その様子を見つめていたみさとは、
「ふたりともすぐにでも、お父さん・お母さんになれそうね」
やだ、まだそんな、と、さやかが言おうとするのを遮るように、甲児が口を出した。
「まだまだ、早いですよ。俺の方は、みさとさんみたいな完璧な女性には出会ってないし、
さやかの方は、まだまだま〜だガキだし・・・」
「ちょっと、それ、どういう意味よ」
「どういう意味って、そのまんまだよ。赤ん坊がおっぱい飲みたくっても、見つかんないような胸じゃあね」
「なんですって! 甲児くんだって、父親どころか、子作りの過程しかキョーミないくせに」
「過程もよく知らないお子ちゃまが、よく言うよ」
「っ!! よくも・・・」
荒れはじめた雲行きを止めるべく、みさとが声をかけようとしたその時、
ふにゃぁ、と、さやかに抱かれていた優香が、半泣き声を上げた。
「ほら、でかい声あげるからだよ。」
そういう甲児にかまわず、さやかは困惑し、
「み、みさとさん、どうしよう・・・」
「大丈夫、少し眠たいのでしょう。隣の部屋に布団を持っていくわ。そのまま抱いてきてくれる?」
ほっとして、言われるまま、さやかはみさとの後をついて行った。

隣室は、小さな縁側のある和室で、あまり子供部屋らしくなく、がらんとしていた。
「ねえ、ベビーベッドとかは使わないの?」
「ええ、この家はすべて和室でしょう。なんとなく似合わないし。それに、私、添い寝するのって好きなのよ。
時々そのまま、自分も眠ってしまうの。ふふ」
ふ〜ん、と、納得したさやかを見て、みさとは言った。
「さやかさん、優香を寝かせてあげてくれる? 私、夕食の準備したいのだけど」
「ええ、もちろん、まかせて」
みさとが戻っていくと、さやかは優香の枕元からぼんやりと外を眺めた。
南向きの部屋は、早春にしては暖かく、静かであった。庭の方から、桜の花びらが1枚、部屋の中に紛れ込んできた。
――― なるほど、これは気持ちいいわ ―――
穏やかな空気と赤ん坊の匂いとで、数分前の口論も忘れ、優しい気持ちがあふれてきた。
さやかは優香の頬に自分の頬を寄せた。

「まったく、相変わらずね、あなたたちは・・・」
台所で食材をひろげながら、みさとは甲児に声をかけた。
「ホント、あいつはいつまでもガキで・・・」
「何言ってんの。さやかさんもそうだけど、特にあなたのことよ。
いい雰囲気だな、と思ったら、すぐにチャチャ入れてブチ壊すんだから。照れ隠しもいい加減になさい」
甲児は、ちょっとシュンとして、
「はい。すみません」
と、素直に謝った。

甲児は、さやかとみさとの3人でいるときは、みさとにちょっかいを出すくせに、みさとと二人きりになると、まるで姉に対する、いたずらな弟のようにおとなしくなってしまう。
――― かわいいものよね ―――
みさとは、苦笑しながら話を続けた。
「男の人は、いくつになっても父親になれるけれど、女は、そうはいかないの。
母親になる時期って、人生の中でそんなに長くないのよ。
ぼやぼやしてたら、ほかの誰かに攫って行かれる、いいえ、さやかさんのほうから行ってしまうかも・・・」
「アハハ、そんな相手、あいつにいるわけ・・・」
「よくそんなのんきなことが言えるわね、普段傍にいないくせに。客観的に見てごらんなさい。
 あれだけの美人で、年頃で、誰とでも気軽に接して、気が強いわりに頼りなげなところがあって。
 他の男の人に、放っておかれているわけないでしょ。
 弓先生もおっしゃっていたわ、世話好きな方々がさやかにと見合話を持ってくるって・・・」
こりゃたまらん、とばかりに甲児は、
「おそいですね、さやか。優香ちゃん寝かせるの、手こずってんのかな? 俺、見てきますね。」
といい、奥の部屋へと逃げるように向かっていった。
――― ハァ〜、まいった。かなわないな、みさとさんには・・・ ―――
障子戸をそ〜っと開けながら、
「お〜い、ねむったか?」
と、静かに声をかけると、小さな寝息が聞こえてきた。さやかの・・・
優香のほうは、甲児を見つけると、ニコリ、と微笑んだ。
――― 子守が先に寝てど〜すんだよ、まったく。やっぱりガキだ、コイツは・・・ ―――
甲児は優香の隣に片肘をついて寝転がり、優香のちいさな腹を優しくたたき始めた。
その横に、何かいい夢を見ているのか、優しい微笑をうかべながら眠るさやかの顔があった。
いつも、元気のいい笑顔しか知らなかった、甲児の初めて見るさやかの顔であった。
一瞬見惚れた自分に慌て、優香に目をやると、こちらも満足げに眠りについた。
ふたりの幸せそうな寝顔が、甲児の心を緩ませ、勝手なことを考え始めた。
――― いいもんだな、こんな春の日の、赤ん坊って・・・ 
    3月生まれにするには、え〜と10ヶ月かかんだから、5月か。うん、まだ間に合う。
    いや、その前に結婚しなきゃ、最初から、できちゃった婚めざすっつ〜のもなんだし。
    来春は、無理かなぁ。今年はまた、出向の予定あるし・・・
    ああ、弓先生にも、ちゃんと挨拶して、許可貰って・・・ 
    まてよ、プロポーズのほうが先か。できるのか? 俺に・・・
    そういやぁ、まだ、好きだとも、言ってねえや・・・
    とりあえず、今日の帰りの車の中で・・・ 
    いや、桜の木の下も悪かぁねぇか・・・


「ただいま。二人、来ているんだろう?」
みさとの夫が、外出先から戻ってきた。
「ええ、優香と一緒よ。ちょうど夕食もできたわ。二人を連れてきてくださいね」
二人の元に行った夫の、おーい、と呼ぶ声にみさとが近寄ると、夫が指差すほうに、川の字に転がる3人の寝顔があった。
「写真でも撮っとくかい?」
「フフ、必要ないわ。この姿が見られるのも、そんなに先ではないでしょ」


おしまい



 

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