+++ 弱気なウィルス +++

(愛と煩悩の留学編・その2)

鶏子

 

「華氏で69.2っていう事は、37.2℃か・・・ 何とか下がってきたわね・・・」
留学生活を始めて二ヶ月が過ぎていた。そして一週間ほど前からワトソン宅を出て、甲児とさやかはそれぞれ独り暮らしを始めた。
慣れない土地での緊張がようやく緩んできた為か、三日ほど前からさやかは風邪を引き、発熱した。
昨夜までの39度を越す高熱は引いたが、未だに体の節々が痛んだ。
が、それ以上に、健康が取柄と思っていた自分の今の状態が、気分を落ち込ませた。
「なんだかな〜・・・はぁ〜」
大きくため息をついたと同時に、ドアホンが鳴った。億劫ながらも、枕元の受話器に手を伸ばした。
「はい、あ・・・」
『勝手に入るよ、そのまま寝てて』

合鍵を使い、甲児が食材を抱えて入ってきた。
「あれ? だいぶ顔色が良くなったんじゃない?」
「うん、熱は殆ど引いたみたい。明日からは学校に行けると思うわ」
「何もそんなにあせらなくったって。もう2,3日寝てれば?」
「うん。そうなんだけど・・・ 入学からふた月足らずでこんなに休んだんじゃ、なんか落ち着かなくって・・・」
「日本でのドンパチから合わせて二年近くの疲れがまとめて出たんだろ。ひと月ぐらい寝てても、バチは当たんないよ」
「冗談!! 一ヶ月も寝てられないわ。体もアタマも腐っちゃう。やっぱり起きようっと・・・」
そう言ってナイトガウンを羽織り立ち上がったが、足元がふらつき、そのままベッドに尻餅をついた。
「ほ〜れ、みろ。まだムリだよ。お粥作るから、も少し寝てろよ」
そう言って甲児はキッチンに向かおうとしたが、さやかは黙って俯いたままだった。
「おい? 大丈夫か?」
「・・・なんでもない。大丈夫・・・」
その声が微かにくもっていたので、驚いた甲児はさやかの隣に座り、額に手を当てた。
「熱は少しかな・・・ どこか痛いのか? 吐き気は?」
「なんでもないってば・・・」
そういって笑みを軽く浮かべて甲児に顔を向けたが、つくり笑顔は直ぐに崩れ、涙が浮かんできた。
「なんでもなくないだろうが・・・ とにかく横になれよ。ほら」
甲児に促され横になると、さやかは布団を頭から被った。
「う〜〜〜・・・ 悔しい・・・」
「はあ? 何言ってるんだ?」
「・・・昨夜と一昨日の夜、泊まって看病してくれたんでしょ・・・」
「ああ、当たり前だろ。こっちでは生活面で頼れるの、お互いだけだろうが」
「・・・それだけじゃないもん・・・もっと前から・・・ずっと・・・」
布団の中でぼそぼそと話す、らしくないさやかの態度に、甲児は痺れを切らせた。
「あ〜!!  めんどくせえ!! 何が言いたいんだよ! はっきり顔見せて喋れよ!!」
そういうと、甲児はさやかの毛布を引き剥がした。
さやかの瞳からは、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ出ていた。
「な・・・何泣いてるんだよ・・・」
「・・・いつも頼ってばっかり・・・ 日本にいた時からいつもいつも助けてもらってた・・・
 だから、こっちに来てからはひとりでもがんばるって決めて、こうして独り暮らし始めたのに・・・
 ワトソン博士のお宅を出てすぐに・・・ たかが風邪くらいで・・・」
甲児はしゃくり上げながら話すさやかを見つめながら、黙って聞いていた。
(珍しく素直にこんな事言えるんだから、ヤッパ弱ってんのかな・・・ にしても、そんな事で泣くなんて、ホント気ィ強いよな・・・)
そう思うと、相変わらず涙を止められないさやかをよそに、甲児は吹き出してしまった。
「ヒドイ! 私が病気で苦しんだ挙句悩んでいるのに、それを笑うなんて!!」
そう怒鳴ると、ガバッと起きて立ち上がり、掴んだ枕を甲児の顔めがけて投げ降ろした。
「ってぇ〜・・・ 悪かったよ。でも、そんだけ怒鳴って動ければ、もう安心だな」
自分の鼻の頭を撫でながら浮かべる甲児の優しい微笑が、今のさやかには痛かった。再びペタリとベッドに座り込みうな垂れる。
「・・・ごめん。イライラして、泣いたり、怒ったり・・・ ホームシックかな? 不安ばかり広がる・・・」
「いいんじゃない? 弱気なさやかを見ることなんて、そうそう無い事だモンな」
「・・・面白がってるみたい・・・ そんなに落ち込んだ私を見てるの、楽しいの?」
「楽しいよ。情けない顔見てると、イタズラしたくなる・・・」
いきなり甲児はさやかの腕を掴み、自分に引き寄せた。そのまま顎を持ち上げ、唇を重ねる。
「・・・ン・・・ ちょ、ちょっと・・・」
驚くさやかの抗議を無視し、ゆっくりと自分の体重でさやかの身体を倒していった。
次第にさやかの抵抗も小さくなり、完全に力が抜けるのを見て、甲児は唇を外した。
「・・・風邪、うつっちゃうよ・・・」
「体力だけは自信があってね・・・ この3日間だって、平気だったろ」
「同じ部屋にいるだけならともかく・・・ 接触感染だよ、こんなことして・・・」
「あれ、気付いてなかった? 水欲しそうにしてたから、口移しで何度も飲ませてやってたんだけど」
「・・・ひど・・・ ヒトが寝てるのをいいことに・・・」
「一所懸命看病したんだから、お礼ぐらい貰っといてもいいだろ。さて、コレだけ元気になったんだから、3日間のまとめのお礼を・・・」
言うなり、甲児はさやかのパジャマのボタンを外し始めた。これにはさやかも慌てた。
「えっ? ちょっと、やだ、待って! 私、まだ熱があるのよ!」
さやかの胸元に唇を這わせながら、甲児は尋ねた。
「何度?」
「7度2分よ。でも私、平熱が低いから、まだ・・・」
「ひと汗かけばバッチリだよ。これも治療の一環。そう思って観念して」
「何言ってるの! 止めてよ!」
「大丈夫。無茶はしないから・・・」
ゴホゴホと咳を始めたさやかだったが、甲児は構わずに続けた。
「・・・今日のさやか・・・熱くて、瞳も潤んで・・・なんか、いいな・・・」
だから具合が悪いのよ、そう思いながらもさやかは諦めて全てを甲児に委ねた。


「・・・おなかすいた・・・」
翌朝、目を覚ますなり、さやかはつぶやいた。隣で上体を起こしミネラルウォーターを飲んでいた甲児が、それを手渡しながら笑った。
「とんだ朝のご挨拶だな。ま、晩メシ抜きだったからな。シャワー浴びたら、メシつくってやるよ。気分はどう?」
「最悪・・・と言いたいところだけど、なんか熱もノドのつかえも取れたみたい」
「ほらな! やっぱり俺の治療が効いたんだな、うん」
「それはぜ〜ったい違います! 本当に辛かったんだからね。咳は酷くなるし、身体の節は痛むし・・・」
「だから、ガマンして2回しか・・・」
「充分でしょ!」
「・・・それにしても、アレ、凄かったな・・・」
「・・・?」
「咳き込まれた時、こうググッと絞め・・」
「バカッ!!!」
さやかは真っ赤になって、甲児の顔に枕を押し付けた。
ゲホッゲホッ、ゴホン!・・・
さやかが枕から手を離すと、二人は顔を見合わせ、同時に口を開いた。
「「・・・・・え?」」
紛れもなくその咳は、甲児の口から出たものだった。
「朝食を作るのは、私みたいね・・・」
そうつぶやくと、ベッドに倒れこむ甲児に目もくれず、さやかはバスルームに向かった。


おしまい