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〜*〜* L'air
du Temps *〜*〜
written by ゆりあ
白い胸元からほのかな香りが立ちのぼる。清楚でやさしい甘さは、彼女がアフロダイAに乗っていたときから変わらない。
いつの頃からか、さやかさんっていい匂いがすると思っていた。でも、顔を合わせれば大喧嘩になったあの日びには口に出せるはずもなかった。
「この香水は、おとうさまが買ってきてくださったの」
さやかがお茶を飲みながら、みさとたちに話したことがあった。
「去年、ジェットスクランダーの設計図を持って、ニューヨークに出張なさったときに」
甲児は、女の子のくっだらない話につきあえるかよと声に出さずにうそぶいて、離れたソファで漫画本を開いた。しかし、気がつくと聞き耳を立てている自分がいた。
「羽を広げた鳥、すてきなボトルキャップね」
「ええ、今にも飛び立とうとする翼がおとうさまの目にとまったのだと思うわ」
「L'air du Temps、レール・デュ・タンと読むのかしら」
「そう、レール・デュ・タンよ」
みさともさやかも、息が抜けたような、軽くのどを鳴らすような発音だった。
それがフランス語の発音だと甲児が気づいたのは、ちょっと時間がたってからだった。そしてL'air
du Tempsが「時の流れ」という意味だと知ったのはさらに後日だった。
「わたしにとっては、おとうさまがスクランダーに心血を注いだ記念でもあるの」
漫画本ごしにさやかの横顔を盗み見ると、ちょっとはにかんだようにほほえんでいた。手のひらにのせたピンポン球より小さな瓶の中身は遠目にも残り少なかった。それを見つめる彼女のいとおしげな眼差しが妙に記憶に残った。
半年後、思いがけず甲児とさやかは米国への留学が決まった。光子力研究所の関係者が誰ひとり予想しなかった事態の急展開の結果だった。
負傷者たちの治療やリハビリ、研究所本来の目的である研究部門を強化するための組織再編成、留学の準備、みなが目前のなすべきことを消化するためにあわただしい毎日を過ごし、あらゆる感傷が置き去りにされた。
「さやかさん、向こうの列がすいている。パスポートの用意は」
「ええ、出ているわ」
「この出国審査が終わったら、飛行機に乗り込むだけだな」
「そうね。あとは一路アメリカで……」
自分の言葉にはっとしてさやかが口をつぐんだ。周囲にこれだけ大勢の人がいるのに、見知った顔がお互いだけになっている。甲児も気づく。突然、母国を離れるのだと実感した。
父ひとり、弟ひとり、少ない家族だからそれだけに肩を寄せ合って暮らしていた。何度も死線を越えて難局をのりきった仲間たちとも空港ロビーで別れてきた。不意に惜別の想いがこみ上げた。ふたりとも無口になった。
係官がパスポートに出国印を押した。出発ゲートに向かう通路沿いの閑散とした免税店を見て、もうここは日本じゃないのねと、さやかは胸のうちでつぶやいた。
「あれだ」
ショーウィンドウのなにが気になったのか、足早に免税店に飛び込んだ。
「どうしたの、甲児くん。待って」
わたしをひとりにしないで、あなたはひとりで大丈夫なの、不安と心配がないまぜになって後を追った。
「こっちの大きい瓶をください。鳩かな、この鳥の絵の」
あっけにとられるさやかを尻目に、甲児はさっさと支払いを済ませ、むきだしのL'air
du Tempsの箱を無造作に彼女に手渡した。
甲児くんたら、わたしの香水なんていつ知ったのかしら。大きい瓶って気持ちはうれしいけど、これ、トワレよ。香水(パルファン)とトワレの区別はついていないのね。ま、しかたないか。それにしても出発前に今月のお小遣い使い切っちゃって。まったく、なにか思いついたら後先考えないんだから。
甲児が背中を向けてさっさと歩き出した。わかりやすい照れ隠しだ。さやかは数秒うつむいて笑いをこらえてから、急いで追いついた。
「ありがとう、甲児くん」
「どうしたんだ。やけに素直じゃないか」
予想どおり木で鼻をくくったような返事だった。さやかはもう一度うつむいた。
薄絹ごしに感じる甲児のたなごころが熱い。さやかの胸の高鳴りを知っているかのように抱き寄せる腕に力が入る。応えるようにしなやかな腕とやわらかな胸がもたれかかる。ふたりの息がそっと重なりあう頃、部屋の明かりが消える。甲児の手が白い肩をなでる。細ひもが肩をすべり、薄絹は足元に落ちる。
時の流れをまとったさやかが甲児の腕の中にいる。
(FIN)
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