うなじの誘惑♪

 

 正月も明けてしばらく後、冬にしては暖かい日和の続くある日のことだった。
 その日、光子力研究所内にある、弓家の居間は華やかな空気に包まれていた。
「うわぁ、さやかさんもみさとさんも綺麗だねぇ…」
 シローが感心したような呟きを漏らす。
 それもそのはずで、今シローの前には、振袖を着たさやかとみさとが二人並んで立っているのだった。
 みさとは薄緑色が基調の着物を、さやかは薄紅色の着物を着ていて、二人ともそれぞれの個性にあって、とても良く似合っている。
 さやかがシローの目の前でくるりと回ると、長い袖がふうわりと揺れた。
 お正月や成人式にも振袖なぞ着たことのなかったさやかの珍しくも綺麗な姿に、シローはしばしうっとりと見入ってしまう。
 以前からお花やお茶を習っているみさとの場合は時々着物姿で外出することもあったからシローもその着物姿を目にすることがあったが、さやかの方は滅多に着物など着ない。
「先生にも見せたかったね」
 シローがさやかの艶姿をとっくりと眺めながら残念そうに言う。
「しょうがないわよ、お父様は会議で明日まで帰ってこないんですもん」
「んじゃあ、せめて写真撮っとこうよ!」
 せっかくだからとカメラを取り出したシローのおかげで、しばしその場は振袖姿の撮影会となってしまう。
 そこへ顔を出したのが甲児だった。
「あっれー? どうしたんだ? お正月はもう終わったよな?」
 ドアから顔を覗かせた甲児は一瞬驚いた顔をしたが、次の瞬間にはいつもの表情に戻って軽口を叩く。
「今日はみさとさんの叔母さんちでお茶会なんだって」
 シローはカメラを覗きこんだまま、口だけで兄に答える。
「へぇ、みさとさんの叔母さんのお茶会とやらに、さやかさんも行くの?」
「そうよ。最近私もお茶習ってるのよ?」
「へえっ、さやかさんがお茶? さやかさんにお茶なんてたてられんの?」
「失礼ね! 私だって、お茶の一つや二つたてられますよーっっだ!!」
 顔を歪めてあかんべーをするさやかに、みさとはため息をつき、シローはやれやれと肩をすくめる。
 せっかく振袖を着ているのだから、そういうときくらいおしとやかにしてはいられないものだろうかと二人が思っても、バチはあたるまい。
 しかし、さやかが甲児に対する場合、少しほつれたしとやかさが、どんどん大きくほころびていくのは時間の問題だった。
 カメラマンとしての仕事をこれ以上続けることが出来そうにないと判断したシローは、せめてとばっちりをくらってカメラを壊されたりしないよう、部屋の隅っこへと避難する。
「それにしても綺麗だねぇ、………………みさとさんは………」
 甲児の挑発的な一言に、さやかのこめかみがぴくりと動いた。
「あたしは綺麗じゃないっていうの?」
「いやいや、さやかさんも綺麗ですよ。まるで七五三みたい……っっ!!」
 さやかの素早い張り手が甲児の頬に飛ぼうという瞬間、さやかの袖を引っ張って動けなくしたのはみさとだった。おかげでさやかの手は甲児の頬にヒットする寸前で止まる。
「……まったくもう、二人ともいい加減にしなさいね。さやかさん、せっかくの振袖が泣くわよ」
 ちょっと怖い顔をして、みさとが甲児とさやかの二人を睨む。
 さやかの方はそれで少ししゅんとしたのだが、甲児は全然こたえない。
「さんきゅー、みさとさん。危うくさやかさんに張り飛ばされるとこだったよ。それにしても…」
 しかめっ面になったさやかをよそに、甲児はみさとの背後に回りこむと、にやにやとスケベ笑いを浮かべた。
「………女の人の、着物の襟足から覗くうなじって、いいよなー」
「……なに言って……っ」
 甲児の言葉とその視線に、みさとが一瞬にして赤くなる。
「ほら、この、首筋からぱーって赤くなるトコとかさ。なんかなまめかしいっつーかなんつーか…」
 甲児はあいかわらずのにやにや笑いを浮かべたまま、腕組みまでしてみさとの首筋をじーっと鑑賞している。
「ホント、いいよなー、このうなじ  いつもは髪下ろしてるから、みさとさんのうなじって、俺、初めて見るかも…」
「……あのね!!」
 さやかの声と同時に、突如甲児の目の前からみさとの姿が消え去った。
「……あれ? 俺のうなじぃ……」
「「俺のうなじぃ〜」じゃないわよ、このうなじフェチ!!」
 さやかが、甲児とみさととの間に仁王立ち状態で立ちふさがった。その姿は力強く逞しく、美しい振袖を着ているにもかかわらずしとやかさとは無縁のもので、見ていたシローは小さくため息をつく。
「あのね、さっきからみさとさんみさとさんって、みさとさんにはもう彼氏がいるんですからね、変なちょっかいかけるんじゃないわよ!!」
「ちぇ〜。わかってますよぉ〜」
 しぶしぶといった体でそうは言うものの、甲児の目はまだ未練がましくみさとを追っている。
「でも、ホント綺麗だよなー。みさとさんの、う・な・じ
「そんなにうなじが見たいなら、あたしのを見なさいよね!!」
 とうとうキレたらしいさやかが、甲児の前にずいっと詰め寄ると、勢い良くくるりと背中を向ける。
「……うわ……っ」
 甲児が少し下に目をやると、ちょうどさやかのうなじが見える格好だ。少し屈めば唇で触れることさえできそうな至近距離に、さやかの白い首筋がある。一瞬さやかの使っているシャンプーの香りが漂った。
「……………っっっ(汗)」
 その瞬間、甲児が顔を赤らめたことに気づいたのは、ちょうどさやかの隣にいたみさとだけだった。甲児に背を向けていたさやかはもちろん、少し離れた位置にいたシローも気づくことはない。
「駄目駄目、さやかさんのうなじとみさとさんのじゃ大違いだよ。なんつったって色っぽさが違うね!!」
 そう言った甲児の顔は普通の色に戻っていたが、声にはわずかに焦りの色がある。しかしそんなところまで今のさやかには読めるはずもない。
「なんですって!?」
 売られた喧嘩は買うとばかりに身構えるだけだ。
「もう、本当にいい加減にして!!」
 再び喧嘩に入ろうとした二人を止めたのは、やはりみさとだった。
「さやかさん、そろそろ出かけなきゃいけない時間でしょ?」
「…あ…、ほんとだ」
 部屋の壁に掛けられている時計を見て慌て始めたさやかだったが、ふと隣を見てにっこりと笑う。
「甲児くん、あたしたち足がないの。あたしに対して随分なこと言ってくれちゃったことも、送っていってくれたらチャラにしてあげるけど?」
「ああ、いいよ? 随分なこと言ったつもりはないけどね」
「…どこまでもムカつく奴ね☆」
 さやかの声を背中で聞きながら、甲児は車のキーを取りに部屋を出た。
 しかし、そのまま数歩も歩かないうちに背後から声がかかる。
「……甲児くん!!」
「みさとさん?」
 振り返ると、みさとが小走りで近づいてくる。
「あのね。いい加減、その口ちゃんとしつけておいた方がいいわよ?」
「……へ???」
 みさとの話の方向が見えなくて、甲児は首をかしげる。
「気がついてないと思った? 私見たときは平気だったのに、さやかさんのうなじ見た時は赤くなってたでしょ?」
「………!!!」
 みさとの言葉に甲児が赤くなる。その顔は「その通りです」と言っているようなものだった。
「大体ね、さっき部屋に入ってきた時も、私じゃなくてさやかさんの着物姿見て焦って、ついつい心にもないこと言っちゃったんでしょ? そんなんじゃ、いつまで経っても進展しないわよ?」
「………みさとさん……キツイ…」
 観念した甲児はがっくりと肩を落とした。
「今日、お茶会が終わったあと迎えにきてくれたら、二人きりにしてあげるから、ちゃんとさやかさんに謝るのよ? ホントにもう、私がいなくなったらあなたたちがどうなるかと思うと、彼と結婚も出来やしないわ」
 ぶつぶつと言いながらみさとは甲児に背を向けて、弓家の居間に戻って行く。
 その後姿に一礼し、甲児は自室へ向かって走り出した。
「やっぱり、色っぽさじゃみさとさんのうなじのが絶対上だと思うんだけどなぁ…」
 しかし、そう呟くうなじフェチの甲児の頭にあったのは、みさとではなくさやかの白いうなじだったりする。
「あ〜あ、俺もなんだかなぁ…」
 自室のテーブルの上に置いてあった車のキーを手に取ると、甲児はさやかの待つ居間へと足を早めた。

 

おしまい。

 

…とゆーことで、やまやまさんリクエストの「うなじ」です。
もうちょっとうなじをアップにした絵のがよかったね。(Mio)

 

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