□□ 電話しようかな □□

「だー、ま〜だ熱あるよ…」
 甲児はデジタル体温計の表示を見てうんざりと呟いた。今日で四日、熱は三十八度台から下がらない。午前中少し楽になったと思ったら、午後からまた熱が上がるという状態が続いている。
 そもそもは先週の木曜日だった。その日、ここしばらく休み返上でかかりきりだった実験が成功したため、甲児は同じチームの仲間と祝杯を上げに夜の町に繰り出した。ご機嫌な気分で飲んで騒いで、解散したのは日付が変わって随分経ってから。既に相当酔っぱらっていた甲児は、それまでの疲れもあって、部屋に帰るなり服も着替えないまま倒れるように眠りこんでしまい、明け方の寒さに目を覚ました時にはどことなく全身がだるかったのだ。
 それでもまだ単なる二日酔いだと思っていたので、朝かららシャワーを浴びて研究所に出勤した。しかしどうにも調子が悪い。いつもの二日酔いなら午後には回復するのだが、今日はさっぱりよくならない。全身のだるさに加え、節々も痛み始め、くしゃみを連発するようになる。何とか一日の仕事を終えた頃には、甲児自身、自分が風邪をひいたのだと自覚せざるを得なかった。
 幸いその日は金曜日、土日は仕事が休みである。普段から滅多に風邪などひかない…あるいはひいてもさっさと治ってしまう…甲児は、土日二日間ゆっくり休めば簡単に治るだろうと思った。それでも一応念のためにと、帰り道に薬局で風邪薬とドリンク剤を買い込んだ自分の選択が正しかったと後々甲児は思い知ることことになる。
 他には寄り道もせずまっすぐマンションに戻り、薬を飲んで温かくして、甲児はその日早めにベッドに入った。目を覚ましたらこのだるさから解放、されているだろうと思いながら。
 が、しかし。
 目を覚ました翌日は最悪、更に土日の二日が経過しても、甲児の風邪は治るどころかまったく良くなる気配を見せなかったのである。
「みんなどうしてんだろ……。仕事、どうなってんのかなー」
 実験は成功し、既に新しい段階に入っているはずだ。本当なら甲児はその陣頭に立っていたはずなのにこの体たらくだ。
 甲児が二日も仕事を休んだことで、心配した同僚たちは見舞いに来ると言ってくれたのだが、甲児はその申し出を断っていた。今頃また忙しくなっているだろう仲間たちに余計な心配や世話をかけたくなかったし、このひどい部屋に彼らを入れるのも申し訳ない。何しろ今の甲児の部屋ときたら、散らかり放題なのだ。汗をかいて着替えたパジャマは洗濯もせずそこいらに脱ぎ捨てたままだし、ドリンク剤の空き瓶やコップ、タオルなどなどがあちこちに散らばっている。同僚の中には女性もいるのだ。恥ずかしくてとてもこんな部屋に通すわけにはいかない。
 本当は、そんな遠慮なんか必要のない人間に来てもらえればいいんだけど…。
 甲児は一瞬そう思って、慌てて自分の考えを打ち消した。
 今、あいつはここから遠い富士山麓にいて、毎日寝る間も惜しんで論文を書いているはずだ。そんな時に呼び出すわけにはいかない。
 静かな室内に聞こえてくるのは子供たちの声。どうやら近所の子供たちが学校から帰ってきたらしい。
 このマンションの壁ひとつ隔てた向こうでは、普通に日常生活が展開されているというのに、甲児一人身動きがとれないでいる。まるで世の中のすべてに置いていかれた気分だ。
 いつもは狭いと文句を言っているこの部屋も、一人きりでいる今は広すぎるくらいだ。こんなに長い間、誰とも話さず時間を過ごしたことなどかつてなかった気がする。
 室内に音がないことが寂しくて、甲児は枕元を探ってテレビのリモコンを見つけ出した。電源ボタンを押すと放送していたのはニュース番組だ。しかしその内容は甲児の頭に入ってこない。アナウンサーの滑舌のいい声を聞きながら、やがて甲児は眠りに引き込まれていった。

 

 

 次に甲児が目を覚ましたとき、室内はすっかり暗くなっていた。テレビ画面の光だけが室内を照らしている。
 時計を見ると夜の八時。どうやらまだ熱は引かないようだ。熱のせいか、嫌な夢ばかりを見ていたような気がする。
 風邪薬を飲むために、甲児は重い体をベッドから持ち上げた。ふらつく足取りでキッチンまで行き、氷枕の中の氷を取り替えたあと、コップに水を汲んで戻ってくる。枕元には四日前に買ってきた薬。
「そのうち胃までやられちまうかもなぁ…」
 寝込んでからほとんど何も食べておらず、ドリンク剤と薬を飲んで寝ているだけだ。瓶の中の薬も随分減ってしまっている。
 今もまた、ドリンク剤と薬だけを流し込んで、再びベッドにもぐり込む。頭の下では新しい氷を入れた氷枕がガラガラと音を立てている。この氷枕は引っ越しのとき、心配性の誰かさんが黙って甲児の荷物に入れたものだ。こんなもの、置いておいてもかさばって邪魔なだけで使うことなどないだろうと思い、滅多に開けることのない玄関脇の物入れに無造作に放り込んであったのだが、それがまさかこんなに役に立つとは思わなかった。そのとき一緒に入っていた各種の薬も部屋のどこかにしまってあるはずだが、絆創膏と湿布薬を除いた残りはどこに入れたのかもわからない。それでも、甲児が四日前に買った薬はその時に見たものと同じ模様の箱に入った風邪薬だったりする。
 氷枕と各種の薬を甲児の荷物に忍ばせたお節介な人間の顔が頭に浮かんできて、甲児は枕元の小さな機械に目をやった。
 それは、こっちの研究所に来る前に、そのお節介な人間……さやかと一緒に買いにいったものだ。
「あいつ、今頃何してんだろうな。仕事…してんだろうな…」
 思い出すのはさやかの顔。さやかの声。
 甲児は携帯を手にとった。こういう文明の利器のおかげで、離れていても相手の声を聞くことができる。せっかくあるものなのだから使わない手はないだろう。一度電話してみようか? ことの顛末を話して、「馬鹿じゃないの、甲児くん!」なんてさやかの憎まれ口を聞いたら、少しは体もしゃんとするかもしれない。
 寝込んでからずっと、甲児が会いたいのは、声を聞きたいのはさやかだった。その思いは日に日に強くなってくる。
 我ながら情けないと甲児は思う。たかが風邪くらいで何を弱気になっているんだろう。かつてドクターヘルと戦って日本を守った兜甲児様が情けないったらない。
 まったくもってムカつくことに、天下の兜甲児様は今、たかが風邪に、孤独という言葉の意味を教えられていた。
「……でも、電話は…。出来ねぇよな…」
 甲児はさやかの性格を知っていた。もし電話して様子がおかしいと気づかれたら、さやかはこちらに飛んで来るだろう。そんなことはさせられない。さやかは今忙しいのだ。それは誰より甲児がよくわかっている。
 一度は手にした携帯を甲児は自分の額の上に載せる。機械の冷たさが気持ちいい。そのまま再び眠りの淵に沈み込もうとした時だった。
「………うわっっ!」
 額から落ちた携帯が、甲児の耳元で鳴り出した。ディスプレイには、さっきまで考えていた相手の名前。
 出ないでおこうかと一瞬思ったものの、甲児は一、二度咳払いをしてから通話ボタンを押した。
『甲児くんっ!?』
 耳に響く大きな声。たった一言名前を呼ばれただけなのに、その中に心配の色が含まれているということがわかる。
「あー? 何だよ、さやかか」
 本当は一番声を聞きたかった相手なのだが、わざとそっけない口調を装い、咳が出ないよう気をつけながら喋る。こちらの体調が悪いことをさやかに気づかせてはならない。
『甲児くん、大丈夫なのっ!?』
「大丈夫って何が?」
『しばらく仕事休んでるんでしょ? さっき研究所の方に電話したら、そう言われて…』
 弓さやかから電話がかかったら、俺は出張中だと言ってくれるよう頼んでおけばよかったと甲児は後悔する。
「ああ、ちょっと風邪ひいちゃったけど、もう大丈夫だから、心配すんなって」
 実はさっき風邪薬を飲む前に計った甲児の体温は、三十八度七分あったりしたのだが。
『心配すんなって言われても心配するでしょーがっっ! もうっ、あたし今からそっち行くからっっ!』
「いいよっ、来んなよっ! 風邪うつるぞ!? さやかさん、もうすぐアメリカだろ? 万が一にも風邪ひいて倒れてる場合じゃねーんだからっっ!」
『何言ってんのよ! あたしには仕事より甲児くんのが大事なんだってばっ!!』
「……………」
 そう言われて甲児は言葉に詰まってしまう。基本的に照れ屋のさやかは、いつもならこんな台詞を吐きはしない。そのさやかが真正面からこんなことを言うということは、余程心配しているということだ。
「来るなっつってんだろ!?」
『……………っ』
「さやかみたいにやかましいのが来たら治る病気も治らなくなっちまう! 大体俺はホントにもう治りかけてんのっ! 明日には研究所にも出るつもりだし、後んなってからさやかさんに、こっち来たせいで論文の発表に失敗したなんて言われても迷惑なんだよっ!」
『……………っっ!』
 たとえ本当に論文の発表に失敗したとしても、さやかがそれを他人のせいにするような人間ではないということは、甲児にも十分わかっていた。しかし、こうでも言うほかない。
 光子力研究所からここまではかなり遠い。そしてさやかは今、来月アメリカで発表する予定の論文をまとめるのに必死になっているはずだ。たかが風邪くらいのことで、甲児の所まで来ている場合ではない。そんな時間があるのなら、論文を書くことに時間と労力をかけるべきだ。
『………わかったわよっ! せいぜい一人で寂しく闘病生活を送ってよねっっ!』
 甲児のあまりの言い方にさすがのさやかもムカついたのか、その一言を最後に電話は切れてしまった。
 甲児は携帯をベッドの上に放り出す。
 本当はさやかの顔を見たかった。さやかに看病だってされたかった。それが嘘偽りのない本音だ。
 しかし、それが自分のわがままだということも、甲児にはよくわかっていた。
 さやかが心配して電話してきてくれたことだけで嬉しい。最後は怒らせてしまったものの、さやかの声を聞けただけで少し元気になったような気さえする。
「頑張って一人の闘病生活を耐え抜いてみせるさ」
 何といっても、かつて日本を救った兜甲児様なんだし、そのくらいのことで負けてらんねーもんな。
 そう一人ごちると、甲児はまた布団にもぐり込んだ。風邪が治ったらさやかにちゃんと謝りに行こう。その時には詫びがわりに何かプレゼントでも買って持っていった方がいいかもしれない。その方が早くご機嫌が直るかも…。
 さやかに何を持っていこうかと考えているうちに、甲児はまた眠りの中に引き込まれていった。

 

 

 甲児の意識が暗闇の中から徐々に浮上してくる。
 なんだろう、辺りがやけに賑やかだ。耳に入ってくる音はどうやらお昼の人気番組のテーマソングらしい。
 しかし、それは変だ。昨日甲児は電話がかかってきたときにテレビを消し、そのままつけてはいなかった筈だ。
 熱のせいで電源のボタンと何かを押し間違ったのだろうか?
 そんなことをぼんやりと考えながら、重い瞼をゆっくりと開ける。するとそこには…。
「おはよう、甲児くん。おはようって言ってももうお昼だけどね。 お腹すいてない?」
「……………さ…さやかっっ!?」
 甲児の部屋でテレビを見て笑っているのは、昨日電話で話した、そして怒らせたはずのさやかだった。甲児は慌てて身を起こす。今の甲児にはそれだけでも重労働だ。
「……おまえ…、なんでいるんだよっっ」
「なんでって…。来たのよ、昨夜。甲児くんは熱でうなされてたから気づかなかったかもしれないけど」
 さやかはしれっとしてそう答える。
 電話を切ったのは九時くらいだったから、それから車を飛ばせば昨夜のうちにここへ着けない訳ではない。さやかにはこの部屋の合鍵を預けてあるから、黙って入ることも出来る。
「なに? 電話であたしを怒らせたから来るはずないって思ってた?」
 そう、甲児はまさにそう思っていた。そのためにわざとあんな言い方だってしたのだ。
「馬っ鹿じゃないの? あんなことぐらいであたしを騙せるとでも思ったわけ? 甘いわね。甲児くんの考えてたことなんてお見通しよ。騙されたフリしてあげてただけ」
「……………」
「こーゆー時にあーいうこと言うと、かえってあやしまれるってことぐらい、覚えといてね」
 さやかはそれだけ言うと、甲児を残してキッチンに立った。甲児は呆然とその後ろ姿を見送る。
 気がつけば、いつの間にか荒れ放題だった部屋が片づいていて、ベランダでは洗濯物が翻っていた。すべてさやかがしてくれたことらしい。
「でもおまえっ、論文あるだろ? 来月発表だって言ってたじゃねぇか…」
 どことなく力ない声でそう言う甲児をふり返ると、さやかはわざとらしくため息をついた。
「……あのねぇ。自分と一緒にしないでくれる? 甲児くんはいつもギリギリまでドタバタしてるけど、あたしはちゃんと予定組んで早め早めにやってきたから余裕あるの。今すぐ発表しろって言われても大丈夫。変な遠慮しないでよ」
 その目は思い切り甲児を馬鹿にしていたが、甲児には返す言葉がなかった。
「ほら、せっかく目を覚ましたんだから、何かお腹に入れてから薬飲んでもう一回寝て。昨夜あたしが来た時なんか、四十度近い熱あったんだからね? それで仕事に行くだなんて、嘘つくにもほどがあるわ」
 さやかの手元には一人用の土鍋があった。中にはおいしそうなお粥。四日間ほとんど何も食べていない甲児の腹がきゅるると鳴った。
「どうせここしばらくろくなもの食べてなかったんでしょ?」
「スミマセン。いただきます…」
 今回ばかりは完全にやられっぱなしの甲児である。れんげを手にして湯気のたっているお粥を口に運ぶ。
「うまい…」
「そうでしょ、そうでしょ」
 褒められてさやかはご機嫌だ。自分の前でお粥を食べている甲児を嬉しそうに眺めている。
 やがて甲児が食事を終えると、その額に手を当てた。
「うん、熱もちょっと下がってるみたいね。これなら今から病院行けそう」
「病院!? 俺は別にそんなひどい風邪じゃ…」
 そう言った途端さやかの表情が変わった。甲児の顔に手を伸ばし、口の横をびよ〜んと引っ張る。
「四日間も寝込んでたくせにどの口がそんなこと言うのかなぁ〜」
「いて〜〜っっ!」
「早く治りたいんだったら、ちゃんと病院行くのが一番よ。いいから支度して」
「でも、俺、ここんとこシャワーも浴びてなくて汗くさいし、そんなので病院行くってのもなんだし………」
 実は甲児は病院が嫌いなのだった。注射だって嫌いだ。かつての戦いの折りには何度も医師の世話になったものだが、病院とかかわるのはあの経験だけで十分、風邪の一つや二つや三つくらい、自力で直せると思っている。もっとも、最初にそう思ったせいで、まだ病院へ行ける状態の間に行きそびれ、結果、風邪が長引いたのではないかと甲児も密かに思っていたりするのだが。
「じゃあ、体拭いてあげるからパジャマ脱いで」
「……………っ!」
「今更何を照れてんのよ? 今朝甲児くんのパジャマ着替えさせたの誰だと思ってんの? すんごい重労働だったんだから」
 そういえばいつの間にかパジャマを着ている。汗をかいて何度か着替えたせいで、手持ちのパジャマは使い果たし、昨夜は確かTシャツとスウェットを着ていた筈なのに。
 それに、今着ているこのパジャマには見覚えがある。確か光子力研究所で着ていたものだ。さやかはこれをわざわざ持ってきたのだろうか?
「……………わかった。このまま行く」
 今ここでさやかに体を拭いてもらうより、汗くさい体で病院へ行った方がマシだと判断を下す。
「よぉし! じゃ、行きましょ。保険証は持ったから大丈夫。さっき、今日も休むって研究所に電話したとき、甲児くんの同僚の人からこの辺で評判のいいお医者さんの場所も教えてもらったし」
「………さようですか……」
 さやかの段取りは完璧だった。どうやら最初から逆らうだけ無駄だったらしい。
 この時点で熱はまだ三十八度を少々越えていたのだが、さやかが一緒にいるだけで何故だか一人のときより元気になったような気がした甲児は、そのまま病院へ連行されて医師に診てもらい、「何が何でも早く熱を下げたい」と訴えたために点滴をされ、出掛けた時より随分楽になって帰宅した。
 マンションに戻ってからはすぐにさやかに布団に放り込まれた。今の甲児にとっては病院へ行くだけでも大仕事で、すでにヨロヨロだったので、横になってすぐに瞼が塞がり、あっという間に眠りに落ちてしまう。だが、今度はもう嫌な夢を見ることはなかった。

 

 

 さやかの献身的かつスパルタな看護の甲斐あって、その後甲児は快方に向かい、間もなく職場復帰となった。今日は復帰初日である。
「じゃ、あたしは帰るわね」
「ああ。今回はホント、ありがとな」
 二人は一緒に玄関へ向かう。甲児は現在勤めている研究所へ出勤し、さやかは光子力研究所へ帰るのだ。
「悪かったな。大変な時に来てもらって…」
「いいのよ。でも、体調悪かったら、嫌でもちゃんと病院へ行くこと! 自己管理できないなんて、社会人失格よ?」
「………スミマセン…」
「それは同僚の人たちに言ってよね」
「………ハイ…」
 まったくもって、今回ばかりはさやかに頭が上がらない。しゅんとしてしまった甲児を見て、さすがにさやかも少し気の毒に思ったらしい。
「あたし来月アメリカだけど、お土産何がいい?」
 それを聞いて、ほんの一瞬甲児の目がキラリと光った。今回はやりこめられっぱなしだったから余計に、少しは慌てたさやかの顔を見てみたくなる。
「来月のお土産より、今、欲しいものがあるんだけどな」
「…………?」
 玄関のノブに手をかけたまま、不思議そうな顔で見上げるさやかの前に立つとその肩を押さえ、甲児はおもむろに顔を近づける。
「…っっ、ばかっっ!! 風邪うつったらどーすんのよっっ!!」
「さやかさんが看病してくれたんだからもう治ってるって」
「あたしが風邪ひいて論文の発表失敗したら、今の甲児くんのせいだからねっ! このすけべっっ!」
「そのすけべの前で無防備に寝てたの誰でしたっけ? 熱あった間は我慢できたけど、もう元気になっちまったし。いーじゃんか、ちょっとぐらい♪」
「………………っっ!」
 などなどという会話の後、ほんの短い沈黙の時間を経て、甲児は若干頬を腫らすハメになる。
ずんずんと先を行くさやかは、さっさと自分の車の所に行き着いた。乗り込む寸前、甲児を振り返ってあかんべーをする。それを見て、甲児は楽しそうに笑った。
「今度はゆ〜っくり遊びに来いよなー!」
「もう来ないわよっっ!!」
「また電話くれよーっ!!」
 遠ざかるさやかの車に、甲児は大きく手を振った。

 

 

 後日甲児はシローから、光子力研究所に帰ったさやかが徹夜の連続でフラフラになりながらアメリカへ向かったと聞かされ、思わず笑ってしまったのだった。
「なにが、『甲児くんと一緒にしないで』…だ。さやかさんも同じじゃんか」
 そして、そんな時に看病に来てくれたさやかに、密かにこっそり、深い感謝をしてしまったのだった。
 ちなみに、さやかの論文の発表は無事成功したようである。

 

 

おわり

 

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