★☆★☆★☆★☆★ アイドル症候群 ★☆★☆★☆★☆★

Mio

 

*注* この話は実話ではありませんので、念のため…(笑)。

 

 結婚後3年。兜甲児・さやか夫妻は毎日を幸せに暮らしていた。甲児は某研究所で、さやかはその近くの大学でそれぞれ働いており、二人とも仕事は順調、夫婦仲も良い。しかし、夫の甲児には、妻であるさやかに対して一つの不満があった。
 それは……。
「ああ、わかった。2時から2時間だな? チャンネルは? 10チャン? わかった。わかったって。標準だろ? 間違えねぇよっ。はいはい。じゃあ、気を付けてな」
 自宅のリビング。受話器を置いた甲児は一つ溜め息を付く。
 さやかが出張先から珍しく電話をかけてきたと思ったらこれだ。こういうことは珍しくないが、それにしても…。
 そして甲児は更にもう一つ溜め息をつきつつ、テレビの前に向かうのである。目的はテレビではなくビデオデッキの方だ。
「ったくもー。何で俺がワイドショーをビデオ予約しなきゃなんねーんだよっ!」
 ぶつぶつ呟きながらも手はさやかご指定の番組の録画予約をこなしている。万が一にも失敗したら大変だ。さやかのご機嫌を元に戻すだけでも一苦労する。それくらいなら慎重の上にも慎重を重ね、失敗しないようにビデオをセットした方がずっと簡単というものだ。
 こうやって、さやかが出張中にTV番組を録画するよう電話をかけてくるのは珍しいことではない。大抵の場合はちゃんと自分でタイマーセットしてから出掛けるのだが、たまにはこうして予想外の番組を録らなければならなくなるらしい。そんなとき、甲児が自宅にいると、録画を頼まれることになる。
 実はさやかは、結婚前から某アイドルグループのファンをしていて、彼らの出演するテレビ番組はすべて目を通さないと気が済まないらしいのだ。しかもこのグループ、普通のアイドルだったらTVに出演するのも歌番組くらいだっただろうに、自分たちでバラエティ番組はやっているわ、メンバー単独でもバラエティだのドラマだの映画だの、はたまたCMにも多数出演していて、彼らの顔を見ない日はないほどだ。大体、彼らが出演する新しいCMが始まるだけでワイドショーネタになるのだ。他にもドラマや映画の記者会見だの、CDの発売だのコンサートの模様だの、彼らが動けばワイドショーが取り上げるといった有り様で、さやかはそれをいちいちチェックしているのだから、まったくもってご苦労なことである。
 甲児としてはそれだけならまだ良かった。それがたとえ、男性アイドルに入れあげることであっても、さやか個人の趣味に文句を言うつもりはなかったのだ。
 しかし、自分もまた彼らの番組を延々と見せられるとなればいささか話が違ってくる。確かに彼らの番組は甲児が見ていても面白くはあるのだが、自分の妻が男性アイドルの番組を嬉々として見ている姿というのは、夫としてジェラシーを感じずにいられるものではない。おかげでついつい、彼らについてさやかに辛口の批評だの厭味だのを言ってしまう始末だ。そんな自分を大人げないと反省し、だからこそこうやって、電話でのビデオセットのお願いも聞いてやっているのだが。
 さやかの一週間のTVスケジュールは決まっていて、特に月曜日は必ず夜10時になるとTVの前にいる。大きな事件があって、甲児がいくらニュース○テーションを見たいと主張しても聞き入れてもらえない。どうしても見たければ、甲児の書斎にある小さいTVで見るしかないのだ。
 昔、「三年目の浮気」などというタイトルの歌があったが、さやかは三年目どころか結婚直後からずっと…、いや、それ以前から浮気してるようなものなんじゃないかと思ったりもする甲児である。もちろんさやかは即刻否定するだろうが、甲児としては、妻の彼らに対する態度を見ていると、これが精神的浮気でなくて何なんだろうと言いたくなってしまうのだ。もっとも、実質的な行為に及ぶわけではないので、これまでは渋い顔をしながらも許していたのだが…。
 しかしこれからはあのシーズンがやってくる。そうつまり夏のコンサートシーズンだ。例年この時期には一悶着あるのだが…。



「え? 明日から3日間東京でコンサートだって? ああ、いいよ、行ってこいよ。さやかのことだから、仕事の方は休めるようちゃんと手を打ってあるんだろ?」
「…う、うん、それはそうだけど……。甲児くん、いいの?」
「別にいいよー? 泊まりだっけ? ゴミはちゃんと指定の日に出しとくから心配すんなよ」
「……………?」
 さやかは、不機嫌のかけらもない甲児の顔を、不思議そうな表情で見つめていた。
 今年はどんな厭味を言われるかと覚悟していたというのに、こんなにあっさりOKしてくれるなんて、一体甲児にどういった心境の変化があったというのだろう?
 日々のビデオセットなどは結構快く引き受けてくれる甲児だが、さすがにコンサートに行くことは余り良く思っていないらしく、毎年この季節には不機嫌になる。さやかも甲児に申し訳ないという意識があるので、甲児がたとえ少々ムカつくことを言っても我慢するため喧嘩に発展することはないのだが、それでも何となくこの季節は気まずい気分になることが度々だったりするのだ。
 そもそも甲児はコンサートなんて一回見れば十分だと思っている。毎回MCが違うから何度見ても飽きないんだと説明してもわかってはもらえない。そんな気持ちは確かにファンでなければわからないだろう。
 さやかは甲児にも今まで何度か、一緒にコンサートへ行こうと誘ってみた。彼らのコンサートにはカップルどころか男性のグループさえ来ている程だし、男性が見てもちゃんと楽しめる作りになっているのだ。甲児も一度来てみたらわかってくれるのではないだろうか…。毎年甲児と一緒に行けるようになったら楽しいのに…。そんな風に思ったさやかの誘いを、甲児は頑として断り続け、ここ最近はさやかも諦めて誘うことをやめていた。
 なのに……。
 不思議である。ここ何年間か、このコンサートシーズンには常に不機嫌だった甲児が、今年に限って何故こんなにも普通なのだろう。
『もしかして、もう、あたしが年下のアイドルに熱を上げてても何も感じないくらい愛がなくなったってことなの…?』
 瞬間、さやかは猛反省した。確かに毎年このシーズンには甲児を放ったらかしてしまっていた。一緒に食事を摂っていてもどこか上の空だったし、帰宅時間は午前様ギリギリだったり、たまには泊まりになったことだってあった。こういう態度は妻として少々問題だったのかもしれない。いくらアイドルグループにうつつを抜かしていても、さやかは別に彼らとどうこうしたいわけではなく、傍にいて欲しいのは甲児だけだし愛しているのは甲児だけなのだ。
 それなのに、余りに彼らにうつつを抜かしすぎて、とうとう甲児に愛想をつかされたのだろうか?
「あ、あの、甲児くん、ごめんね。あたし、いっつもこの時期、ライブだ何だって出歩いてて、あの……」
「毎日仕事を頑張ってるんだから、さやかもたまには楽しまなきゃな。ライブでも何でも行って元気もらって来いよ」
 そう言って笑う甲児は何かを隠している風でもない。どう見てもこの言葉は本心から言っているとしか思えなかった。基本的に甲児は考えていることが顔に出やすい質である。嘘をついているならさやかにはすぐわかるはずだ。
「あたしのこと……怒ってないの?」
「なんで怒んなきゃなんねぇの? 一年のこの時期…それも3日くらいのもんだろ。俺だって、ボス達と泊まりでゴルフ行ったりするんだし、それと同じじゃん」
「………ありがと、甲児くん……」
 何だかわらないけれど、急に理解を示してくれるようになった愛する夫を、さやかはぎゅっと抱きしめた。自分は本当に幸せだ…と思いながら。
 しかし。甲児の態度の急変に対する疑問が、さやかの心の中から消え去ったわけではなかった。



 数日後の夜だった。
「あれ、甲児くん?」
 深夜、ふと目を覚ましたさやかは、自分の隣のベッドに甲児の姿がないことに気がついた。
 トイレにでも行ったのだろうと思っていたのだが、それからしばらく経っても甲児は寝室に戻って来なかった。
「どうしたんだろ?」
 不審に思ったさやかは、ベッドから起き出した。何となく気になる。
 廊下に出ると、リビングのドアがわずかに開いて、そこから光が漏れているのが見えた。そうっと近づいて、ドアの隙間から覗いてみると…。
『……………っっ!!』
 さやかがそこで見たものは、某女性アイドルグループのビデオを見て顔をにやけさせている甲児の姿だった。
「可愛いなぁ、○○ちゃん…♪」
 鼻の下は見事に伸びきっている。
 さやかはようやく理解した。何故甲児が急に、さやかのライブ行きに対して寛容になったかということを。つまりは、甲児自身も年下アイドルにハマり、さやかの気持ちがわかるようになったということなのだろう。
 自分の半分くらいの年齢の女の子相手にデレデレしている甲児の姿を見て、一瞬頭が沸騰しかけたさやかだったが、すぐに冷静になった。今の甲児の姿は今までの自分自身の姿でもあるのだ。甲児がさやかの気持ちを理解したのと同様に、さやかもまた甲児の気持ちを今こそ理解したのである。
「確かにこーゆー姿を毎日見せられるのは嫌かもしんない……」
 自分はここまでひどくないだろうと思いつつもやはり不安になる。こんなデレデレした顔で自分もテレビ見ているのだろうか?
 これからは、甲児が一緒にいるときには、顔を引き締めてテレビを見ようとさやかは固く心に誓った。ここで、「甲児が一緒にいるときには彼らが出るテレビを見ないでおこう」とは思わないところがさやかである。
 そっと踵を返し、足音を立てないよう気を付けて、さやかは寝室に戻った。リビングに踏み込んで甲児をからかいたい衝動にもかられるが、このまま何も見なかったことにしておいた方が、家庭の平和の為には得策だ。
 これで甲児の理解は得たのだし、さやかは何の気兼ねもなく3日間のコンサートへ行ける。そして、さやかがこのまま知らないフリをしておけば、自分ごひいきのグループの番組と甲児ごひいきのグループの番組が同じ時間帯に重なったとしても、甲児に気をつかわず自分の好きな番組を見ることができるというものだ。
 すぐさまそう計算したさやかは、心穏やかにベッドに入った。来週のコンサートは楽しんで来よう。そして、そのうちいつか、この女の子達のコンサートに甲児を誘ってみるのも面白いかもしれない……。
 くすりと笑って、さやかはゆっくり目を閉じた。

 

 

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