幕間劇



 風防の向こうに見慣れた景色が広がっていた。
「おー、やっぱ綺麗だねー」
 青空を背景に美しい稜線を描く富士山。かつて幾度となく見てきたはずのその姿を、こんなにも穏やかな気持ちで見られる日がこようとはあの頃は思いもしな かった。
 今日の甲児が駆っているのは、共に戦いをくぐり抜けた相棒ではない。彼に比べるといささか頼りなくはあるものの、一から全て自分の手で作り上げた我が子 だ。その機体で海を渡ってここまで辿り付けたことが誇らしい。
「あー、でもまぁ、全部ってわけでもねーか」
 この機体…TFOを作り上げるまでには、多くの人々に意見を求めたり協力を仰いだりした。そのうちの何人かが今、近づいてくる光子力研究所にいる。だか らこそ甲児は、目的地である宇宙科学研究所に向かう前にここへ来た。たとえ寄り道をしてでも、彼らにTFOを見てもらいたかったのだ。それに……。
「兜甲児、着陸します」
『了解』
 通信機を通した、たった一言だけでも懐かしい。コントロールタワーの光景が目に浮かぶようだ。
 甲児が高度を落とすにつれ、着陸予定地を少し離れた場所に数人の人間が立っているのが見えてきた。徐々にそれが誰だか判別できるようになっていく。
 やがてTFOは研究所近くの草地に静かに着陸した。風防を開け、TFOを降りた甲児は懐かしい顔に囲まれることになる。
「甲児くん、元気そうで何よりだ」
「お久しぶりです、先生」
 笑顔の弓と挨拶している間に、のっそりとせわしが早速TFOに近づいていく。
「ほほぉ、これはなかなかうまく作ってあるのぉ」
「まったくじゃ。甲児くんも立派になったもんじゃ」
 TFOの機体を指でこつこつと叩いたり、中の計器類を覗き込んだりと、二人は興味しんしんの様子だ。
「甲児くん、長旅で疲れてない? 大丈夫?」
「ありがとう、みさとさん」
 みさとの顔を見ただけで、甲児の腹の虫がきゅるると鳴った。
「今夜はご馳走よ。ボスたちもシローくんも学校が終わったら飛んでくると思うわ。お酒もいける口なんですってね。聞いてるわよ?」
 悪戯っぽくみさとが笑う。今夜は光子力研究所で一泊し、明日の朝、宇宙科学研究所に向かうという予定はあらかじめ伝えてあった。
「……あーー、そういやさやかさんは?」
 いかにも“今ふと思い出しました”的に訊くと、みさとがくすりと笑った。どうやら彼女には甲児の気持ちが見透かされていたらしい。甲児は最初から、この 人々の中にさやかがいないことが気になっていたのだ。
「さやかさんならもう来る頃よ?」
 みさとが言い終わらないうちに、こちらへ向かって走ってくるさやかの姿が見えた。
「遅ぇよっ!! なにぐずぐずしてんだっ!」
 思わず怒鳴った甲児に対し、さやかも負けずに怒鳴り返してくる。
「遅いとは何よ! そっちが予定より早く着いたんでしょ!?」
「俺の腕とこのTFOが優秀だからなっ!」
「単にお天気が良かったからじゃないのぉー?」
「なに!?」
 この会話の間に、弓、せわし、のっそり、みさとの四人は笑みを浮かべながらもそろそろと二人から離れていっている。彼らの喧嘩は懐かしくも微笑ましい が、とばっちりを蒙るのは御免と言うところだろう。
「あー、二人とも、一段落したら研究所に入ってきなさい」
「一段落するまでは入ってこなくていいぞい」
「何か壊されたら迷惑じゃからな」
「じゃあ、ごゆっくり」
 四人はそう言うと、二人を残して研究所の中に入っていった。
 しかし、その後の展開は彼らが予想したものとは違っていた。二人は喧嘩を始めなかったのだ。
「ま、いっか。日が暮れるまでに約束果たさなきゃな。ちゃんと着替えて来てくれたんだし。それで遅くなったんだろ?」
「……それもあるけど、これ」
 さやかが甲児に差し出したのは、小さな紙袋だった。受け取った甲児が中を覗くと、ラップに包まれたおにぎりとマグボトルが入っている。
「……お腹、空いてんじゃないかと思って。三十分も早く着くから、これしか作れなかったじゃない」
「………そっか。そりゃ悪かったっつーかありがとうってーか……」
 素直に礼を言い慣れていないため、口の中でもごもごと聞き取りづらいことを言っている甲児を見てさやかが笑う。
「お腹、空いてんなら早く食べちゃってね。日が暮れるまでに約束果たしてくれるんしょ?」
「……ああ」
 実際甲児のお腹はいい感じに減っていたので、さっさとおにぎりを口に放り込むと、さやかの手を引っ張ってTFOへ向かう。
「うまかった。ごちそーさん」
 TFOのコクピットでマグボトルのお茶を飲み干して、風防の脇に腰を下ろしたさやかを見上げる。TFOは1人乗りなので、さやかの居場所はそこしかない のだ。
「ちぇー。スカートが風でひらひら〜ってのをちょっと期待してたのになー」
「これもスカートよ?」
「見慣れた戦闘服じゃ色気ねーもん」
「色気がなくて悪かったわね」
 さやかが着替えてきたのはかつての戦闘服だった。最後の戦闘からもう1年。この服が血に染まる心配をしなくてもいいことが何よりも嬉しい。
「あー、そっか。喧嘩してる時間はねぇんだっけ」
「……そうよ?」
 本日はバトル休止であることを、お互いに確認する。
「弓先生たちには言ってあんの?」
「もちろん。平和な空を楽しんで来なさいって」
「………なら、行くか?」
 TFOのコクピットは狭くて1人しか搭乗出来ないが、甲児の操縦技術とさやかの運動神経をもってすれば大丈夫だろう。それでも少々心配で、渋るさやかの ベルトに命綱をつけた。
「あーあ、出来上がったら一番に乗せてやるなんて言わなきゃ良かった」
「それはおあいにくさま」
 あっかんべーをしてくるさやかにわざと渋い顔を見せ、甲児はTFOのレバーを引く。これ以上ないほど慎重にそろそろとTFOが地面を離れ浮き上がって いった。
 それは、アメリカにいた頃からの約束だった。NASAでのTFO開発に際し、甲児は少なからずさやかの世話になっている。それは主に精神的な面でのこと だったが、専門外であるさやかの素朴な疑問や意見がTFO開発そのものに影響を与えたことも一度や二度ではない。
 さやかは、1人勝手に違う道を選んだ甲児を何も言わずに見送ってくれた。自分もまた学校と研究で忙しいはずなのに、しばしば顔を見せては煮詰まっている 甲児の周りを引っ掻き回してくれた。それがさやかなりの気遣いなのだとわかる程度には、甲児はさやかを理解している。しかしさやかの方はわかっているのだ ろうか。恒例の口げんかが、NASAで1人奮闘していた甲児の気持ちをどれだけ和ませたのか。「もう来るな」と言いながら、さやかが来るのを甲児がどれだ け楽しみにしていたのかを。
“このTFOが出来上がったら一番先に乗せてやる”
 この約束は、そんなさやかに対する甲児の密かな感謝の気持ちだったのだ。
「それにしても静かねー」
「……え?」
 ふいに話しかけられて甲児は我に返った。
「TFOのエンジンよ。普通もっとやかましいものでしょ?」
「ああ。だからそれは……」
 しばしTFOの動力に関する専門的な話が続く。専門外とはいえ素人ではないさやかは、甲児にとって最高の聞き手でもあった。そのためうっかり熱く語りす ぎて、「俺、こんな空の上で何してんだろう?」と甲児がふと考えてしまった時。
「きゃーーっっ!!」
 さやかが大声を上げて指差した。
「……なに?」
 その視線の先には美しい夕焼けを背にした富士山の姿。
「綺麗ーーーっっ!!」
「ほんとだな」
 その美しい光景よりも、頬を上気させ夕焼けを見詰めるさやかの方に目が行って、甲児は焦る。
「あー、気持ちいい」
 長い髪が風になびく。
 常日頃の口の悪さと余りに近い距離のせいで忘れがちだが、客観的に見てさやかは美人だ。そのことをこうやってたまに思い知らされることがある。
「どうしたの?」
「……べ…別に何でもねーよっ!」
「…………?」
 不思議そうな顔をしたさやかの気を逸らすため、シローやボス、鉄也やジュンの近況に話を振ってみる。甲児よりも早く帰国していたさやかは、シローやボス はもちろん、鉄也とジュンにも会っていたらしく、彼らの様子を話してくれた。
「こっちにいる間に、俺も鉄也さん達に会いに行かないとな」
「鉄也さんの回復っぷりに、甲児くんきっとびっくりするわよ」
「親父の墓にも行っときたいし」
「そうね」
 夕日が山の陰に隠れていく。もうあと少しでこのささやかなふたりきりの時間は終わるだろう。
「ねぇ、今回の研修っていつまでだっけ?」
 さやかがふいに訊いてきた。
「……半年」
「そっか」
「さやかさんは?」
「今年いっぱい」
 さやかは先週から日本に帰ってきているが、それはプライベートではなく、光子力研究所での「研修」が目的だった。所定の期間を終えたらアメリカに戻って 勉強を続ける予定だ。同様に、甲児もまたTFOの実験兼研修のためしばらく宇宙科学研究所に滞在し、その成果をアメリカに戻ってから論文と言う形でまとめ ることになっている。
 暗くなりゆく空を見上げて、さやかがぽつりと呟いた。
「明日私も宇宙科学研究所までついてっちゃおうかなー」
「いいけど帰りは送んねーからな。あそこ、交通の便悪いらしいけど」
「…………………」
 現実的なことを言うんじゃないとさやかの目が咎めているのがわかる。
 さやかが日本にいられるのはあと二ヶ月だ。その後、甲児の研修が終わるまでには四ヶ月もある。
 甲児がNASAへ行ってからも、比較的頻繁に二人は会っていた。しかし、さすがに日本とアメリカとに離れてしまってはそう簡単に会うことは出来なくな る。四か月も会わずにいるのは、二人が出会ってから初めてのことだった。
「明日は無理だけど、日本にいる間にせいぜい八ヶ岳へ遊びに来いよ。なんなら最寄の駅まで迎えに行ってやるから。牧場が近くにあって、のんびりしたいいと こらしいぜ?」
「…………牧場? それはシローちゃんやボスたちも喜ぶかも」
 さやかの言葉に甲児は思わず頭を抱えた。
「…………………じゃなくてー」
「なに?」
 わかっていないらしいさやかは、不思議そうな顔で甲児を見詰めている。
「……1人で来いって言ってんの」
 半ばふてくされたような甲児の声。
「………………一人で……?」
「ああ。シローやボスたちと一緒じゃなくていいって言ってんだよ!」
「……………は?」
「あったま悪いなー、お互い日本にいる間に、八ヶ岳でデートしようって言ってんだろっっ!!」
「………あ」
 その時ちょうど、太陽の最後のひとかけらが山の向こうに消えていった。山の稜線を赤い光が縁取ってその光が徐々に薄れて消えていく。
「……デート……なんだ?」
「そうだ」
 甲児のむっつりした顔が少しばかり赤くなっているのは、夕日のせいではないだろう。
「そっか……」
 食事に行くとか飲みに行くとか映画を観に行くとか。アメリカにいる間、それらしいことはさんざんやってきたけれど、それらの行為に対して二人の間で今ま で「デート」という名前がつけられたことはなかった。
「…………………」
 改めて意識すると、さやかとしてもなんだかやけに気恥ずかしい。ちらりと視線を向けた甲児も難しい顔で操縦桿を握っている。
「じゃ、しようか、デート」
「おう。まかせとけ」
 ムードのかけらもない受け答えをしている二人の頭に、そもそも、今していることも「デート」なのではないかという考えは浮かんでいない。
 空には星が瞬き始めた。
 甲児とさやかの空の散歩はそろそろ終了のようである。



 しかし、甲児とさやかの「デート」が実現するのは、この後一年半近くの時間が経過してからのことになる。
 そのことに、この時の二人はまだ気づいていなかった。



END




こ の話は裕作さんの描かれた上記の絵からイメージしたものです。
裕作さんご本人からは許可をいただいたんですが、「こんなんじゃない!」と思われた方がいらっしゃいましたらごめんなさい(汗)。

なお、文中甲児くんの飲酒話が出てくるのは、私が、“グレンダイザー開始当初甲児くんは20歳”という設定で書いているからです。
Z開始当時16歳の高校1年生だった甲児くんが、グレート後NASAに1年いたとすると、グレンダイザー開始時20歳になるわけです。
グレンでの設定が18歳だということはわかっておりますが、Zの設定で考えていくとどうしても計算が合わないので、自分設定でそう決めました。
あの当時のそういう“設定”なんて結構いい加減だから…。
ちなみに、鉄也は一つ上、大介さんは二つ上のつもりです。 
(mio)

 

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