Unhappy Valentine?

 その日、とあるものを持って光子力研究所にやってきたジュンは、室内の騒がしさに眉を寄せた。

「リフォームでもしてるのかしら?」

 不審に思いながらも進んでいくと、音がだんだん大きくなっていく。どうやら発生源はキッチンのようだ。

「みさとさん、どうしたの、こんなところで……」

 キッチンのドアの前では、困惑顔のみさとが立っている。が、物音のせいでジュンの声が聞こえなかったらしい。

「みさとさん!!」

 声のボリュームを上げて、ようやくみさとの顔がジュンの方を向いた。

「あら、ジュンさん、いらっしゃい」
「こんにちは、みさとさん。ねぇ、この音、どうしたの? 中でリフォームでもしてるの?」

 それならば、室内に入れずドアの前で立っていても不思議はない。中から聞こえてくるのは、ドリルでも動いているかのようなモーター音だったり、何かを叩きつけるような音、何かが割れるような音などなどで、工事中なら納得がいく。
 しかしみさとは首を横に振った。

「ちがうの」

 みさとの声もいつもよりボリュームが大きめだ。

「……じゃあ、なに?」
「……それがね……」

 ここでみさとは言葉を止めた。表情は一層困ったようなものになる。
 わずかな間の後、みさとはジュンに近づいて、遠慮がちに口を開いた。

「……さやかさんなの……」
「……………え?」
「……さやかさんが、キッチンでバレンタインケーキを作ってるのよ」
「…………………………………………………は?」

 ジュンはすぐには何を言われたのかわからなかった。

『さやかが台所でバレンタインケーキを作っている』

 それはつまり、「料理をしている」ということだ。

「…………まさか……」

 ジュンはみさとに向けていた視線を一気にドアに向けた。

「この音って、料理してる音なのっ!?」

 とてもそうとは思えない物音が、今もドアの向こうから響いている。

「……さやかの料理って……そん……な……に……?」

 絶句したジュンに、みさとは慌てたように言った。

「ああ、あのね、さやかさんも全然料理が出来ないわけじゃないのよ。なんていうのか、目分量で何とかなるものなら結構美味しいものを作れることもあるの」

 それはつまり、作れないこともあるということだろう。

「でも、今回はお菓子だから……」

 作り慣れた人間ならともかく、慣れない人間が目分量でまともなケーキを作るのは至難の業だ。
 が、しかし、これはそういうレベルではない。
 ジュンはこわごわドアをみつめる。

「……なんでさやかがケーキなんて……。そりゃあ確かに今日はバレンタインだけど、いつもは美味しいチョコを買ってきてたでしょ?」

 そう、今日はバレンタインデーだった。ジュンが仕事の帰りに光子力研究所へ寄ったのも、日頃世話になっている弓達にバレンタインチョコとともにちょっとしたプレゼントを渡すためだ。

「甲児くんよ」

 小さなため息をひとつついて、みさとが口を開いた。

「クリスマスパーティーの時、ケーキ作りをさやかさんに手伝ってもらったの」

 ああそういえばと、ジュンは思い出した。
 昨年末のクリスマスパーティはもちろんみさとお手製の素晴らしい料理が振舞われた。毎年ケーキも手作りで、昨年のクリスマスケーキは特に好評だった。
 そのケーキを、「今年は私も手伝ったのよ」と、さやかが得意げに話していた。詳しく聞いたら飾りつけだけらしかったが、それでも手伝ったことには違いないだろう。実際、ケーキのデコレーションは斬新で綺麗だった。

「それで、バレンタインにもケーキを作ろうかっていう話になったんだけど……」

 シローはもちろん、せわし・のっそりの両博士も大喜びで食べていたから、そういう話が出ても不思議ではない。

「さやかさんが今回も手伝うって言ってくれて、じゃあ二人で作りましょうって話になったときに甲児くんが言ったの」

 ここまで聞けば、ジュンにも何となく予想は出来ていた。

   

「「どうせさやかさんは一人でケーキなんて作れないもんな」」

   

 みさととジュンが見事にハモった。二人、顔をあわせて乾いた笑いを浮かべる。

「それで、売り言葉に買い言葉的に、さやかさんが一人でケーキを作ることになって、この始末なのよ。しかも私、絶対入るなって言われてしまって、内側から鍵までかけられちゃったの」

 だから廊下に立っていたということらしい。みさとは深い深いため息をついた。

「もう、食器や泡だて器は諦めてるわ。オーブンだって覚悟してる。でも、どうかキッチンそのものだけは壊さずにいてくれるといいんだけど……」

 みさとの心配に真実味を与えているのは、キッチンから聞こえてくる物音のすさまじさだ。

「甲児くんもね、さやかさん手作りのバレンタインケーキが欲しいなら、素直にそう言えばいいのに」

 つまり甲児的には、みさとではなくさやか手作りのケーキが欲しかったということらしい。みさとが言う以上、この推測は間違っていないだろう。

「あーーーー、でも、そこはほら、甲児くんだから……」

 さやかに対して、素直にバレンタインチョコやケーキをくれと言う甲児など、ジュンにはとても想像できない。

「そうよね。本当に厄介よね、あの二人は」

 そうしてまた、みさとは小さなため息をつく。

「でも、甲児くんには、帰ってきたら責任取ってもらわなくちゃ」
「甲児くん、いないの?」
「ええ、自分の一言のせいでこんなことになってるとも知らずに、一人東京へ出張よ」

 そう言ったときのみさとは少し恐かった。
 戦闘時はその有能さゆえに所員として働いていたみさとだったが、戦いが終わってからは普通のハウスキーパーに戻っている。人手が足らない時たまに所員として駆りだされる程度だ。正式な所員になって欲しいと誘われたのに、ハウスキーパーの方がいいと言って断ったのだとジュンは聞いている。
 そんな彼女にとってキッチンは自分の大切な仕事場だ。ぐちゃぐちゃにされたら腹も立つだろう。そのきっかけを作った甲児に対し、恐い顔をするのも当然かもしれない。

「……みさと……さん?」
「甲児くんには、台所の後片付けを手伝ってもらうし、それがたとえどんな代物だろうと、さやかさんの作ったバレンタインケーキをきっちり食べてもらいます」

 みさとがそう言い切ったとき、キッチンから「出来たわっ!!」というさやかの声が聞こえ、鍵のあくかちゃりという音がした。そして薄く開かれたドアの向こうから、筆舌につくしがたい微妙な匂いが流れてきたのである。

 果たして甲児の運命やいかに!?

おしまい

メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで

本館の雑記帳にあったものを転載。正式に小説コーナーに置いてない話だったので、賑やかしにいいかと思って。

この後、もちろん、甲児くんだけじゃなくてさやかさんも、みさとさん指揮のもとでキッチンの掃除にいそしみました。