wedding(2)

  

 一方、当の「あの二人」の方はと言えば……。

 鉄也とジュンがシローの元に戻ってくると、何やら廊下の奥の方が賑やかになっていた。

「兄貴とさやかさん、さっき買い物から帰ってきたんだけどさ、早速アレ」

 シローは声のする方向へと視線を向ける。

「……あの声を聞くと、甲児くんとさやかさんが帰って来てるんだって実感するよ」

 聞こえてくるのは、普通の客なら驚くだろう怒鳴り声だ。しかし、鉄也もジュンも今やこの程度で動じはしない。とはいえ、この実態を初めて知った時は驚いたものだ。甲児はともかく、初対面の時のお嬢様然としたさやかからは想像もつかない姿だったからだ。最初からこの実態を知っていれば、あの時感じた疎外感も少しは違ったものになっていたかもしれないと、鉄也もジュンも後々こっそり思ったりもした。

「二人は一昨日こっちに着いてね。これはえーっと……」

 考えこむシローに助け船を出したのは、ちょうど部屋に入ってきたみさとだ。

「三回目の喧嘩よ、シローちゃん」

 シローにそう言うと、みさとは鉄也とジュンに笑顔を向けた。

「鉄也さん、ジュンさん、おめでとう」
「みさとさん、ありがとうございます」

 祝福の言葉と共に二人の前に出されたのは、みさと手作りのケーキと美味しい紅茶だ。鉄也は実は甘党なので、みさとの作るお菓子には目がない。それを知っていて、みさとは、鉄也が来るとわかっている時にはあらかじめお菓子を作っておいてくれるのだ。
 シローとみさと自身も交えて早速ティータイムとなった一同だったが、相変わらず廊下の奥から聞こえてくる声は止まない。何を言っているのかはわからないが、甲児とさやかが恒例の喧嘩をしていることだけは明らかだ。

「ごめんなさいね、やかましくて……」

 みさとが苦笑しながら言う。

「兄貴たちもいい加減にして欲しいよね。いい大人が何やってんだか」

 呆れたように言いながらも、喧嘩を止めに行く気配もなくシローがぱくりとケーキを口に放り込む。

『……あの調子だと、さやかの花嫁姿を見るのはいつになることか……』

 鉄也の脳裏に浮かんだのは先ほどの弓の言葉とその時の表情だ。最近弓の髪には随分と白いものが増えた。愛娘のさやかと息子同然の甲児がいつまでもあんな風では弓もさぞかし心配だろう。
 そんな風に考えた鉄也は、ついうっかりと、いつもなら決してやらないことをしてみる気になってしまった。

「俺、ちょっと行ってくる」

 立ち上がった鉄也に一同は不思議そうな顔を向ける。

「行くってどこへ?」
「甲児くんとさやかさんの喧嘩を止めてくる」

 その言葉に、一同は驚愕の表情を浮かべる。

「え!? 鉄也兄貴、マジ?」
「ああ」
「……俺、行かない方がいいと思うなー」
「いや、たまには俺がガツンと言ってやるよ。あの二人もいい加減落ち着いた方がいい。シローだってそう思うだろう?」

 もうすぐ結婚する男の貫録を漂わせて、鉄也が現場に向かって歩き出した。

「えー、でも今日は特に、鉄也兄貴は行かない方がいいと思うんだけどー」

 その背中に向けて発せられたシローの呟きは少々小さかったので、鉄也の耳には届かなかった。しかしジュンにはしっかり聞こえたらしい。

「……シローちゃん、知ってるの? あの二人の喧嘩の原因」
「あー、それね。それが多分……」

 シローは声を潜めてジュンにその理由を説明する。みさとも知っているらしく涼しい顔をして紅茶を飲んでいる。

「…………………っっ!」

 シローの話を聞いたジュンは一瞬顔を赤くしたが、しばらく考えた後、再びフォークを手に取った。

「止めなくていいの?」
「……まぁ……、いいんじゃないかな」

 その言葉で、シローもみさとも何となく察してしまった。

「あ、でもみさとさん。凹んで戻ってくる鉄也のために、ケーキをもう一切れいただいていいかしら?」

 そう言うと、ジュンはにっこりと笑った。

  

  

 鉄也は物音のする方向へとずんずんと進んでいく。

「まったく、あの二人はいつまで弓先生に心配かけたら気が済むんだ!」

 甲児もさやかも人前ではきちんとした大人の振る舞いが出来るのに、プライベートではすぐにこのありさまだ。だからと言って二人は決して仲が悪いわけではない。喧嘩さえしていなければ、非常にいいカップルだと言っていいだろう。
 もっとも、喧嘩をしてもそれが尾を引くことはなく、投げるものは相手に怪我させないものを選択する。要するに単に喧嘩を楽しんでいるだけなのだが、周囲にいる人間が迷惑を蒙っている以上、このままでいいわけはない。弓のためにも亡き兜博士のためにも、二人にはもっと大人になってもらわなくては。

 この時、鉄也はふと、甲児と打ち解けた時のことを思い出した。

 入院中も甲児は時々さやかと一緒に見舞いに来てくれたが、その時はごく普通の当たり障りのない会話をするだけで、甲児との距離が特に縮まったとは思えなかった。退院が決まり、しばらく光子力研究所に泊まればいいと勧める一同の中、甲児だけがそれに同調せずむしろ反対しているようなそぶりを見せたとき、自分はまだ甲児から許されてはいないのだろうなと考えて落ち込みそうになった。しかし、その甲児が、鉄也の滞在が決定事項になったあと、こっそりと話しかけてきたのだ。

「ごめんな、鉄也さん。あいつら気を遣うってこと知らないから」
「…………?」

 気を遣ってくれたのはシローやさやか、弓達の方ではないかと訝しんでいると。

「わかってるよ、鉄也さんがジュンの部屋に転がり込みたいって思ってたのは。なのにあいつら、ほんとに無粋っつーか気がきかないっつーか。あんな言い方したら、鉄也さん、ここに来なくちゃならなくなるじゃんか」

 甲児はやれやれと言うように頭を振る。

「ホントはあれだろ? 別に部屋借りないでそのまま一緒に住みたかったんじゃねーの?」
「………………………」

 にんまり笑う甲児の顔を見て、鉄也は、彼の中に以前のわだかまりがまったくなくなっていることを知った。わだかまりを持っていたのは甲児ではなくむしろ鉄也の方だったのだ。
 そうして鉄也もにやりと笑い、甲児に手を差し出した。二人はがっしりと握手をし、この時から本当の意味でのつきあいがスタートしたのだ。

 あれから時が経ち、今は鉄也も兜甲児という人間のことを随分と理解している。しかし甲児の、好きな女と喧嘩せずにはいられない心理だけは理解できない。鉄也の目から見た限りでは、さやかは綺麗だし人柄もいい。鉄也の入院中、さやかはジュンを気分転換だと言ってショッピングや食事に連れ出してくれた。先の見えない入院生活が続く中、その時間がジュンにとって貴重なものだったことは鉄也にも良くわかった。当時アメリカと日本を行ったり来たりしていたさやかが、光子力研究所に帰るたびに何をおいても来てくれたことに対し、鉄也は今もとても感謝している。

 だからこそ、そんな二人がいつまでも子供のように喧嘩ばかりして、弓に心配をかけさせていてはいけない。
 そう思って、騒ぎの大元と思われる部屋のドアの前に立ち、深呼吸をした後、そのドアを思いっきり開いたのだが。

「甲児くん、さやかさん、その辺にしてみさとさんの………」

 鉄也の声など二人には聞こえなかった。が、鉄也の耳には二人の声がしっかりと流れ込んできた。
 甲児の部屋の真ん中で、それぞれ手にした柔らかそうなクッションを今にも投げそうな構えを見せながら言い合っていたのだ。

「だーかーらー、鉄也さんにそんな気のきいたことが出来ると思ってるの!?」

 さやかがそう言えば、甲児が応戦する。

「出来るだろーさ、あれでも一応プロフェッショナル戦士なんだぞ!?」

 それからはもう、マシンガンのような言葉の奔流に鉄也は圧倒されるだけだ。ドアの所に突っ立ったまま一歩も動くことが出来ず固まってしまう。

「プロポーズに戦士もクソもないでしょ!? なんの関係があるっていうのよ!」

 女性がクソなんて言っちゃいけない……鉄也はそう思ったがそれを口に出すことは出来なかった。

「戦士だからこそ、リスクを恐れず前に進む精神っつーのを持ってんだろっ!?」
「リスクなんて最初から考える必要ないじゃない! ジュンが断るわけないんだから! 一体何年待ってたって思ってるの!? 鈍感にも程があるわよ!」
「……それは……、確かに、ジュンの方はいつだってOKだっただろうけど……」
「でしょ!? なのに今までかかっちゃったのは、鉄也さんが愚図愚図してて自分からは言えなかったからに違いないわ!」
「だからって、ジュンからプロポーズしたとは限らねーだろ!」
「でなかったら、あの二人が結婚を決められると思う!?」
「いくら鉄也さんでも、そのくらいの甲斐性はあるだろっ! あれでも一応男なんだぜ!?」
「男なのは当たり前でしょ! でもそのご立派な男って奴に、そういう向きの度胸があるかどうかってのが問題なの!」
「……度胸は……あるだろ……」
「ほんとに!? ほんとにそう思ってる?」
「……多分……きっと……。ちょっと意気地は足りないかもしれないけど……」
「ちょっと?」
「………だいぶ……かな? もしかして……」

 畳み掛けるさやかに、甲児は押され気味だ。どうやら反論できないらしい。

『……もう……もう……もうやめてくれっっ!!』

 鉄也は心の中だけでそう叫ぶと、一歩後ろに下がってそっとドアを閉めた。中の二人には今ここに鉄也がいたことを気づかれているだろうか。

『……鈍感……愚図……甲斐性がない……度胸がない……あれでも男……意気地がない………………』

 鉄也は今聞いた言葉の暴力に打ちのめされていた。自分は周囲からあんな風に思われていたのだろうか。あれが一般論なのか? よろよろとシローたちの元に戻っていく鉄也の背中は限りなく寂しい。

 本当なら、この時鉄也はこう言えば良かったのだ。「自分たちのことを棚に上げて何を言ってるんだ!?」……と。そうすれば恐らくこの言い争いはあっさり終了し、甲児とさやかをぎゃふんと言わせることも出来ただろう。しかし、いきなり先制パンチをくらったも同然の鉄也にはそんなことすら思いつけなかった。

  

  

 鉄也が去ったドアの向こうではその後もまだ甲児とさやかの応酬が続いていた。

「鉄也さんは男らしいし逞しいしカッコ良くて憧れるけど、そういう方面だけは弱いのよね。ま、そこが可愛いところかなー」

 さやかの口調がそれまでとは少し変わる。それに甲児が敏感に反応した。

「……!? 随分鉄也さんのこと褒めるじゃねーか!」
「あったりまえじゃない、男は誠実な人が一番なの! 色んな女の子にいい顔するよーな人よりもねっ!」
「………!! 鉄也さんが他に目を向けないのはジュンが魅力的だからだろ! 綺麗だし優しいし奥ゆかしいし、それにあのナイスバディ! 誰かさんとは大違い!」
「ナイスバディじゃなくて悪かったわねっ!!」

 もはや発端となった問題はどこへやら。二人の喧嘩は違う方面へ発展しつつあり、手にしたクッションの出番がいよいよやってきそうだった。

  

  

 そんなこんなはあったものの、鉄也とジュンの婚約パーティーはその後まもなく滞りなく始まった。甲児とさやかは少し前まで喧嘩していたとは思えないにこやかな表情で顔を並べ、美味しいケーキと思いやり深い沈黙で心癒された鉄也も気持ちを持ち直し、照れくさそうな顔をしながらも皆からの祝福を受けた。その際、少しばかり甲児とさやかを睨みつけたりはしたのだが、当の二人はそんなことには気付きもしなかった。
 主役二人の人柄を表すような和やかでアットホームなパーティー。人々の笑顔は絶えることなく、楽しい時間が過ぎていく。

 が。ここは光子力研究所、そのままで終わるはずがない。
 遠方からの客が帰り、身内だけになったあたりから雲行きが怪しくなる。研究所の会議室から弓家のリビングへと場所を移した頃には、一同ご機嫌となっていた。ボスは脱ぎ、ヌケとムチャは笑い、のっそりとせわしは居眠りを始め、弓は歌って、甲児とさやかは囃し立てる。それはいつもの飲み会と変わらない光景だった。当然鉄也もいい感じに出来上がり、何が楽しいのか赤い顔をして幸せそうに笑っている。もちろん今回も、勧められる酒を断りはしなかったのだ。
 甲児とさやかの二人が企み顔で鉄也の方へにじり寄っていくのに気づいて、ジュンはそっと席を立った。このままここにいたのでは、自分も巻きこまれてしまう。今さら隠しておけるとは思っていないが、自らおおっぴらにしたいわけでもない。

「……ジュンさん、キッチンでお茶でもいかが?」

 気配り上手のみさとに促されるままキッチンへと向かったジュンの背後で、鉄也は今まさにプロポーズの経緯を白状させられようとしていた。

 甲児とさやかの本日の揉め事の原因、「プロポーズしたのは鉄也とジュンのどちらなのか?」の真相は、間もなく全員の知るところとなりそうだった。

おしまい

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鉄也の扱いがちょっとアレでごめんなさい。でも私としてはこういうのも彼にとっての幸せかな…と。
これともう一本のことを、私は「宴会シリーズ」と呼んでおりました。
光子力研究所ってなにかっつーとパーティーしてたような気がしてて、ついこんな感じになった模様です。