甲児は両親の方針で、幼いころは普通の家庭の子供として育てられた。父は甲児が生まれるまで兜財団の実務のトップだったらしいが、甲児が生まれたのを機に財団の仕事から手を引き一研究者に戻った。だから甲児はずっと、自分はごく普通の庶民だと思って生きてきたし、価値観も常識もごく普通の庶民のそれだった。
これはそんな頃の甲児が両親と旅行に行った時の思い出だ。
年齢一桁の頃の記憶なんてはっきり思い出せるものでもない。覚えているのは、泊まっていたホテルの中にあった庭園を冒険していた時、木の陰で泣いていた女の子がいたことだ。
女の子は庭園の遊歩道からは見えない木の陰で泣いていた。小さな子どもしか入れないような木々の隙間だったと思う。甲児と同じぐらいの年の、淡いピンクの服を着た女の子だった。
「どうしたの?」
どうして泣いてるんだろうと思った甲児が聞いたら、女の子はびっくりしたように顔を上げた。
真っ赤に泣きはらした目をしていたけれど、可愛い顔をした女の子だったと思う。
「なんで泣いてるの?」
もう一度甲児が問いかけると、女の子は小さい声で、
「お母さんが死んじゃったから」
と答えた。
甲児は愕然とした。
お母さんが死ぬなんて!
その少し前に祖母を亡くしていた甲児は、人が死ぬということをなんとなく理解し始めたところだった。
人は死んだらもう会えないのだ。頭をなでてもらうことも、「甲児」と呼び掛けられることも、手を握ってもらうことも、ぎゅっとしてもらうことも。話しかけることも出来なくなる。
祖母が亡くなった後、甲児は徐々にそういったことを理解していった。
だから。
お母さんが死んじゃったら…と考えるだけでも甲児は悲しくてたまらなくなった。
泣いている女の子を見つけたとき、少しだけ「女の子は泣き虫だな」と思った自分を甲児は反省した。目の前の女の子のお母さんは死んじゃったんだ。そんなの泣いて当たり前だ。
「わたしが泣いてると、お父さんが悲しそうな顔するから…。だから、ここにきたの」
そうしてここで泣いているのだと女の子は言った。
お父さんは生きてるんだなと少しほっとした気持ちになって、甲児は女の子の隣にそっとしゃがみ込んだ。
甲児と話したことで女の子の涙は止まっていた。それでもすぐに話しかけるのは違うと思って少し待って、女の子が落ち着いて、小さく息をついてから甲児は話しかけた。
「ねぇ。お母さん、どうして死んじゃったの?」
「悪い人のせいで死んじゃったんだって」
さらに愕然とした。この子のお母さんは甲児のおばあちゃんみたいに病気だったんじゃないんだ。じゃあどうして死んじゃったんだろう。
「お母さんは悪いことなんてしてない。いいことをしに行ったのに、悪い人が来てそのせいで死んじゃったんだって!」
そしてまた、女の子の大きな目に涙が溜まっていった。
そんなこと絶対にあっちゃだめなことだ。もし甲児のお母さんが…と考えたら怖くてたまらなくなった。この女の子はそんな怖い思いをしていて、そして悲しくてたまらないんだ。それなのに、お父さんに悲しい顔をさせないように、こんな木々の隙間で一人で泣いている。
この子はとても強い子だ。泣いてたって弱虫なんかじゃない。
甲児は猛烈に、この女の子の涙を止めたいと思った。だから。
「じゃあ、いつか絶対、僕がその悪い奴をやっつけてやる!」
そう宣言していた。
「だから泣くな!」
お気に入りのハンカチをポケットから引っ張り出すと女の子に押し付ける。
「………ん………!」
ロボットの刺繍のついたそれは甲児のお母さんが作ってくれた大事なハンカチだった。甲児の大事なものを渡したら、女の子がちょっとでも元気になってくれないかなと思ったのだ。
女の子は驚いた顔をして、でもハンカチを受け取ると、その時初めてにっこりと笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見たとたん、甲児は急になんだか暑くなってきて居ても立っても居られない気分になってその場から勢いよく立ち上がった。
おかげで木の枝に頭をぶつけたけれど、そんなことは全然気にならなかった。
「じゃあな!」
この前テレビで見たヒーローみたいなことを言ってその茂みから勢いよく駆け出す。後ろは振り返らなかった。
そのまま走っていると、「甲児!」という声がした。母が慌てたように駆け寄ってくる。
「どこに行ってたの!心配するでしょ!!」
そう言って母は甲児をぎゅっと抱き締める。
甲児のお母さんは生きてるからこうやって甲児のことをぎゅっとしてくれる。だけどあの子にはもうぎゅっとしてくれるお母さんはいないんだ。
そう思ったら泣きたくなって、甲児は声を上げて泣くと母にしがみついた。
「……僕……僕、大きくなったら悪い奴をやっつけるんだ!」
やがて涙がおさまった時、背中をなでてくれていた母にそう言うと、
「あら、甲児は正義の味方になるのね?」
「正義の味方……」
その言葉が甲児の頭にゆっくりとしみこんでいった。
多分あの後、ホテルの部屋に帰って父にこっぴどく怒られたんだと思う。あんまり覚えていないけれど。
翌日、今度はちゃんと母に言ってからあの茂みに行ってみたが、女の子はいなくて、甲児たちもその日にホテルを発たなければならなかった。
もうずいぶん前。まだほんの子供の頃の思い出。もう一回会ってみたいと思っていたあの時の女の子の顔も、今はもう忘れてしまったけれど。
これは、甲児が「正義の味方」になるきっかけのお話。
これから何年何年何年も経って。
甲児は、自分の幼い子供が、小さい頃にお気に入りだったロボットの刺繍の入ったハンカチを振り回しているのを見てびっくりするのだが…。
それはまた別のお話…。
END
メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで
長かった「Uその後」も今回をもってホントに最終回です。読んでくださった方、ありがとうございました。これで「U」は心置きなく心の押入れに放り込めます。
Uは私にとって結局、甲児くんとさやかさんとマリアちゃんを三角関係にしなかったとこだけが評価できるアニメでした。それ以外は「?」の嵐だったので、あれから1年経ってもよくわからないままです。
願わくば、二期なんて絶対来ませんように。今度神社言ったらお祈りしてこよう!