◆ そして、男は苦労する(1) ◆

by SAKURA

 

「だからさぁ、前から言ってたじゃん。無理だって。
これからさ、プロジェクトが本格的に始まったらさ、今までみたいに頻繁に会えなくなるって言ってただろ?言ったよな?お前、本当のところわかってないだろ?
なんたってあのジュンさんのチームなんだぜ」
"えっ?"
食後のコーヒーを飲みながら、プロジェクトスケジュールに目を通していたジュンは、自分の名前が呼ばれたので思わず顔を上げる。
見ると、斜め前の席に座っているカップルの会話が耳に入ったらしい。
男の方はこちらに背を向けていて顔が見えなかったが、こちらを向いて座っている女の子の顔には見覚えがあった。
"確か鉄也のところのセクレタリーの女の子よね?"
女の子の名前までは思い出せなかったが、向かいに座っている男の子の名前と顔はわかった。
最近、ジュンのチームに配属になった新人の男の子だ。あの女の子と付き合っているという話を聞いたことがあった。
"聞き覚えのある声だと思ったわ。"
配属されてきた日の、挨拶の声の大きさと、元気さが印象に残っていた。
ここは研究所内の食堂である。どうやらランチタイムを利用してのデートらしかった。
"いいわね"
ジュンは聞くともなしに二人の会話に耳を傾けていた。
女の子の声は小さくて、所々しか聞こえなかった。
「わかってる」とか「うん」とか言いながら、うつむいてストローでグラスの中の氷をかき回している。時々、目を上げて男の子の顔を見つめる。
こんなに近いのにジュンに気づいている様子はなかった。デートの相手のことしか目に入ってないのだろう。
少し口を尖らせて、すねている様子だった。
「ホントにわかってる?プロジェクトが始まったら、1週間に1回会えたらいい位だよ。
冗談じゃなくってさ。そこんとこ判っててもらわないとさ」
男の子は、女の子の様子を気にしながら言葉を繋げていく。
「それでなくってもオレ、一番の下っ端だしさ。ここで頑張らないとさ。
この間、初めて会議があったんだけど、もぉみんな凄くってさ。オレなんか結局、一度も発言できなくってさ、マジへこんだよ」
「へこんだの?」
クスクス笑いながら女の子が答える。
やっと女の子の笑顔が見れて安心したのか、男の子の声が元気になる。
「うん。へこんだ。正直言うとさ、わかんない言葉とかもあってさ。会議の後、慌てて調べたよ。言ってることがわかんないんだぜ。へこむって。久々、ガーンってやられたね」
男の子は、新しく始まった仕事のことを喋り続ける。女の子は聞きながら、それでも会えないのは納得いかないという顔をしている。
わかってるけど淋しいの・・・とその表情は言っていた。
"かわいいなぁ"女の子の表情を見ながらジュンは思った。
"私には出来ないわね"ちょっと淋しく思う。
会えなくって淋しいと言うには、相手の仕事の大変さを分り過ぎていた。
「淋しい」と言う前に、「頑張ってね」とか「無理しないでね」とかいう言葉が先に出ていた。
ジュンの場合、淋しいという思いは、自分で解決しなければならない自分の問題だった。
相手に思いをぶつける前に、自分で納得するしかないのだ。
仕方ない・・・と思うが、淋しいと言えない自分を少し淋しく思った。
"そう言えば・・・最近、二人でゆっくり会ってないわね・・・"
気が付くと、最近バタバタと忙しく、鉄也と顔を合わせていなかった。
そんなことさえ忘れていた自分に、苦い思いがする。
"・・・ま、そんなこと考えても仕方ないか。仕事、仕事"
スケジュールに目を戻すが、考えがまとまりそうにもなかった。腕時計に目をやると、もうそろそろ休み時間も終わりになっていた。
"さっ、戻ろう"心の中で呟いて、スケジュール表をたたんで席を立つ。
このまま立ち去るのもなんだか気がひけて、カップルの方に向かう。
「朝倉くん」近づいて声を掛ける。
「えっ!?」男の子がビックリしたように振り返る。ジュンの姿を見ると、椅子から立ち上がって直立不動の姿勢を取る。
ジュンはその勢いに驚く。
"声を掛けない方がよかったかしら・・・。"そう思いながら、女の子の方にも小さく会釈をして目で挨拶する。
女の子も、頭を下げる。
「食事ですか?どこにいらしゃったんですか?」直立不動のまま男の子が聞いてくる。
「ええっと。あそこで・・」答えながら、斜め後ろの席を指差す。
「えっ?」男の子の表情が固まる。
「・・・もしかして、オレの話聞こえてました?」恐る恐る聞いてくる。
「ごめんなさいね。聞こえちゃった」なぜか朝倉にではなく、女の子の方にジュンは謝っていた。
「ええっ、マジっすかぁ?」朝倉は頭を抱える。
「だって、朝倉くんの声大きいし、よく通るんだもの」
「そうですよね。オレの声、大きいんですよね。あ〜っ、もう」今ではもう座り込んで頭を抱えている。
「いいじゃない。別に私の悪口言ってた訳じゃないし・・・ねぇ?」ジュンは、女の子に助けを求める。
「オレ、ジュンさんの悪口なんて、絶対に言いません!」勢いよく立ち上がって、そう叫ぶ。
「ええっと・・」さすがにジュンも、こうまっすぐに答えられるとなんて答えていいか判らなくなってしまう。
「いいわね。仲良くって」結局、また女の子のほうに話し掛けてしまう。
「そんなことないですよ。ジュンさんだって、所長とラブラブじゃないですか?」
女の子は、首を横に振りながら、恥かしそうに答える。
"ラブラブ?"意外な表現にジュンは笑ってしまいそうになる。
この前いつ会ったかさえ覚えていないのに、果たしてラブラブと言えるのだろうか?それとも他人にはそう見えるのだろうか?
「とんでもない。私と鉄也は全然、ラブラブなんかじゃないわよ。
ほんと、あなたたちが羨ましいわ」
「えっ?俺達なんて・・・
所長とジュンさんの方が絶対っいい感じですよ。なぁ。
二人で仕事の話してる所なんか、もぉ超カッコいいっすよ」
"いい感じ"というのがどんな感じかよく判らなかったし、"カッコいい"っていうのも"ラブラブ"とは、かなり違うと思うのだが、誉められて悪い気はしなかった。
「そう?ありがとう」ジュンは笑ってそう答えると、女の子の方を向く。
「安心してね。週一のデートは出来るようにするから」
「本当ですか?」女の子の顔がパッと輝く。
「ええ。任せて。今スケジュール組んでるの。」スケジュール表を指で軽くたたいてそう答える。
「それって、オレに任せられる仕事が少ないって事じゃないでしょうね」
朝倉が不安そうに言う。
"本当にまっすぐなのね。"ジュンは朝倉のまっすぐさを好ましく思った。
「とんでもない。朝倉くんにはしっかり働いてもらいます。
覚悟しておいてね」
「はいっ!!」
「じゃ、お先に失礼するわね。またね」
女の子に軽く挨拶して、立ち去ろうとすると、朝倉も立ち上がる。
「あっ、オレも行きます」
「いいわよ。まだ時間あるし、ゆっくりしていいわよ」
「いえ、私もそろそろ戻らないといけないんで」そう言って女の子も席を立つ。
「そう?」
「はい」そうジュンに答えてから、朝倉を見る。
「・・・じゃあね」ジュンの手前か少し遠慮がちに声を掛ける。
「ああ。また電話する」
「うん」少し淋しそうに朝倉の顔を見つめるが、すぐジュンに向き直る。
「じゃ、ジュンさん、失礼します。
あっ、所長に何か伝言ありますか?」
「ううん。大丈夫。ホットラインあるし、ね」いたずらっぽく、そう言ってからジュンは少し考える。
「そうね。次の会議の日時だけ確認しておいて。特別会議だし」
そう言ってから、少し悲しくなる。"やっぱり、仕事しかないのよね"
「はい。わかりました。
じゃあ、失礼します」
"仕方ないか・・・時期が時期だものね"
研究室に戻りながら、ジュンは一人そう思う。
「そうだ。朝倉くん」
「はい」
「判らないことがあったら、調べる事も大切だけど、聞いてね。
これから伝えていきたいこともいっぱいあるし」
「やっぱりっ。聞いてたんですねっ」
「だから、朝倉くんの声が大きいんだって」
朝倉とそんな会話をしながら、ジュンはすっかり仕事モードに入っていっていた。



それから数日後。
鉄也から、仕事が早く終わりそうなので会わないかと、ジュンに連絡が入った。
ジュンも仕事を早く切り上げられそうだったので、二人はジュンの部屋で会うことにした。
こんな風に二人が揃って早く帰れるなんて、本当に久しぶりのことだった。
大抵はどちらかが早く上がった日に、相手を待って少しの時間を楽しむ・・・それが最近のパターンになっていた。それさえ、ここ最近はなかったのだ。
ジュンが部屋に戻ると、鉄也はまだ帰って来ていなかった。
ジュンは服を着替えながら"本当に、こんなことって珍しいわよね"と顔が緩むのを押さえられなかった。
とはいえ、今までの経験からすると、実際に会うまでは喜べなかった。
間際に仕事が入って、結局会えなかったという事も一度や二度ではなかった。
"どうか、今日はそんなことのありませんように・・・"
まだ、鉄也は帰ってきていなかった。ジュンは、祈るような気持ちで鉄也の帰りを待つ。
ジュンは、そんな自分をおかしく思った。
"あの二人に刺激されちゃったのかな"
だが、嬉しい気持ちは押さえ切れなかった。
二人っきりで会うのは本当に久しぶりなのだ。
ジュンが帰ってから30分後、やっぱり今回もダメかと諦めかけた時に、ドアのノブが回される音がした。
「鉄也っ。おかえりなさい」
ジュンは、ドアまで駆けて行って、帰ってきた鉄也を迎える。
「ああ。お前の方が、早かったな」
迎えに出たジュンを抱きとめて、鉄也が言う。
「どうだ。順調に進んでるか?」
"やっぱり仕事の話なのね"とジュンは思うが、ジュンも聞かずにはいられなかった。
「もちろん。こっちは順調よ。
鉄也こそ遅かったじゃない。何かあったの?」
「いや。結構、時間がかかってしまって、な」
「そう。何か飲む?食事は?」
「ビールをくれ。疲れた。
メシは、後で外に行こう」
「ほんとう?」
ジュンは思わず聞き返す。外での食事なんて何ヶ月ぶりだろう。
でも、外に出たら二人きりの時間が少なくなりそうで、それもイヤかも・・・と思う。
疲れたと言いながら、鉄也は缶ビール片手に仕事の話を続けた。
ジュンは、時間が気になっていた。
早く行って、早く帰りたいのにな・・・。
それに今日は、仕事の話はしたくない気分だった。
「何だ?」
「何?」
「なんか不満そうだな」
ジュンの頬を軽くつねりながら鉄也が笑う。
「別に。仕事、大変そうね」
可愛くないわね・・・とジュンは自分で思う。思って胸がチクリと痛んだ。
「ああ。疲れた。だが、仕事の話はもういい」
そう言って鉄也は、ジュンを抱き寄せて唇を重ねてくる。
が、重なる前にジュンの指が、鉄也を止める。
「何だよ」
「仕事以外って、コレしかないわけ?」
ジュンが、下から鉄也を睨む。
"会えば仕事の話で、仕事以外っていったらこーゆー事しかないわけ?私達には?"
そう思うと、なんだか腹が立った。
「コレも"含む"だろ?」
そう言うと鉄也はジュンの手を払って唇を重ねる。
「食事、行くんでしょ?」
更に首筋にキスしようとする鉄也を押しやってジュンが言う。
「何だよ。機嫌悪いな」
「別に。時間を有効に使いたいだけよ」
クローゼットに向かいながら、確かにイライラしてるかも、とジュンは反省する。
せっかくの時間を、くだらない言い合いで潰したくはなかった。
「ね。どこに連れってってくれるの?この時間だったら、どこでもOKよね」
そういえば、ここにある服を着るのも久しぶりだった。
"どれを着ていこうかしら?"服を選ぶジュンからは、さっきのイライラした気持ちは消えていた。
「どこに行く?イタリアン?中華もいいわね」
行く場所によって服を決めようと思って、鉄也に聞く。
「鉄也?」
返事が返ってこないので、心配になってジュンは鉄也を振り返る。
「鉄也・・・怒ってるの?」
「いや。服を選ぶくらいで、どうしてそんなに嬉しそうな顔が出来るのかと思ってさ」
「だって、久しぶりなんだもの」いくつかの候補の服を胸に抱えてジュンが嬉しそうに答える。
「ね。どこにする?何が食べたい?」
「そうだな。この間、打ち合わせに使った店が旨かったかな」
「イタリアンね。わかった」
候補の服の中から1つ選ぶと、それを持って着替えに行く。
「そういえば、お前ンとこの新人とうちのセクレタリーの静が付き合ってるんだって?」
「えっ?ああ。朝倉くんね」
静由梨。そうだった。そんな名前だった。ジュンは、数日前に会った女の子の顔を思い出していた。
「何だ。ジュンも知ってたのか?」
あの二人が付き合ってることなんか、みんなが知っていた。それを、こんなに驚くのは鉄也くらいのものである。
"それにしても、鉄也がこんな話題を振ってくるなんて"とジュンは不思議に思った。
"でも、いい兆候かも"と思う。先日の二人の可愛らしい会話も、鉄也に聞かせたかったし、いい感じかも、と思う。
「この間、二人でデートしてる時に会ったわ」
「そうらしいな」
「朝倉くんが何かした?」ちょっと心配になってジュンが聞く。
「いや。静の方だ」
「静由梨ちゃん?」
「ああ。静に残業しません宣言をされた」
「えっ?なんで?」ビックリして、思わずドアから顔を出す。
「それがさ・・・。来いよ。後ろ閉めてやるよ」
「あ、うん。ありがとう」ジュンは鉄也に背中を向けて、髪が邪魔にならないように掻き上げる。
「ね?どうして?なんかまずい事でもあったの?」
「いや、それがさ、話を聞くと、彼の仕事が忙しくなると会える日が少なくなるから、自分の方が彼に合わせたいんだとさ。だから、残業を断わる日もあるかも知れませんって言われたよ」
"あら。可愛らしいこと"ジュンは微笑ましく思う。"だけど・・・"
鉄也は、仕事に厳しい。どんな反応を取ったのか心配になる。
「それで?」
ジュンは振り返って、鉄也の目を覗き込む。
"酷いこと言ったんじゃないでしょうね?"とその目は言っていた。
「いや、女の子って可愛いこと考えるもんだなと思って」
"何よ。それ・・"鉄也の口から意外な言葉が出てジュンは驚く。
同時に、強い反発を覚えた。"何よ。他人事みたいに・・・私達だって、ずっと会ってないのよ"
そして、あの時の、朝倉と喋っていた由梨の可愛らしくて女の子らしい表情を思い出す。
彼女はどんな表情で、そのことを鉄也に言ったんだろう。そして、鉄也はそんな彼女になんて答えたんだろう。
その時のことを考えて、ジュンは胸が痛くなった。
"可愛い"と鉄也は言った。
自分にはない可愛らしさ。ジュンはそれを羨ましいと思った。
でも、それでもいいと思っていた。ジュンは、鉄也と会うことより、鉄也を助けることを選んだ。
それはジュンのやりたいことでもあった。仕事が好きだったし、鉄也と一緒に研究所をしっかり立ち上げて行きたかった。
その為には今が大切な時期だった。
それを考えると仕事の忙しさも、鉄也と会えないことも我慢できた。
だからジュンは"会えなくって淋しいの"とは言わなかった。
言わなかったけど、淋しくなかったわけではない。
「で、これが今回のプロジェクトスケジュールなんだが・・・」
そう言って、鉄也が書類をジュンの目の前に差し出す。
ジュンは自分の耳を疑った。差し出された書類を呆然と見つめる。
"どうして?どうして私達は仕事の話ばっかりしなきゃならないの?
今は、朝倉くん達の話をしてたんじゃないの?"
「ジュン?どうした?」
「もう・・・仕事の話はいいわ。
それにそんなこと聞かされても・・・私・・・
朝倉くんには、しっかり働いてもらわなきゃなんないし・・・
結構、期待してるの。彼には」
自分でも何を言ってるのか分らなかった。声が冷たく尖ってくるのを押さえきれなかった。
「何だそれは?そんなこと言ってないだろ?」
鉄也が驚いたような声を出す。
「じゃあ!何が言いたいのよっ?」
自分の気持ちを制御しきれずに、ジュンはとうとう叫んでしまう。
最悪な気分だった。
あの二人の可愛らしい会話を聞いて、羨ましいと思った。でも、自分達はこれで上手くいってると思っていたのに。
「お前こそ何が言いたいんだ?
言いたいことがあるんなら、はっきり言え」
鉄也がジュンの腕を掴む。鉄也の目が怒りを帯びてきていた。
何よ・・・他の女の子には優しいこと言えるくせに・・・。
「鉄也こそ、不満があるんなら言ったらいいでしょう?」
「何だ?不満ってのは?」
鉄也の目は完全に怒っていた。
「もういい。勝手にしろ!」
そう言うと、鉄也は掴んでいたジュンの腕を放して、部屋を出て行ってしまった。
「何よ。鉄也のバカ・・・」一人残されたジュンが呟く。

 

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