「所長、俺達結婚します」
青い空の下、鉄也とジュンは兜博士の墓前にそう報告した。
「私たちの結婚式、所長にも見て欲しかったわね」
「きっと、空の上から見ていてくれるさ」
見上げた空はどこまでも青く澄んでいる。兜博士が自分達を引き取ってくれたのは、優秀な戦士に育て上げるためだということを二人は知っている。しかし二人は、共にした時間の中で、博士が自分たちに向けてくれた深い愛情を知ってもいる。そしてまた、博士の死後、戦士としての生活を終えた二人が不自由なく暮らしていけるよう、博士が配慮してくれていたことをも知った。
「……そうね……」
穏やかに微笑んで、ジュンが鉄也を見上げる。鉄也は力強く頷くとジュンに微笑みを返した。
それから二人はしばらくの間、目を閉じて静かに墓に手を合わせていた。それぞれが心の内で亡き博士と言葉を交わしていたのかもしれない。
近くで鳥の羽ばたく音が聞こえた。それが合図だったかのように二人は同時に顔を上げ、立ち上がった。
「……さて、じゃあ行きましょうか」
ジュンがそう言った時、鉄也の太い眉がピクリと動いた。
「甲児くんとさやかも帰って来てるんですって。久しぶりに会えるのが楽しみだわ」
「……そ……そうか……」
鉄也の表情は、嬉しいのか楽しいのか苦しいのか悩ましいのかはた目には判断つきかねるなんとも微妙なものだ。
そんな鉄也を見て、ジュンが面白そうに笑った。
「……今日は覚悟しておいた方がいいかもね?」
「…………」
二人が今から行こうとしているのは光子力研究所なのだった。先日二人の元に遊びに来たシローに、ポロッと「結婚することになった」と漏らしたところ、それは皆で祝わなければという話になったらしく、光子力研究所で婚約祝いのパーティーを開いてくれることになったのだ。
鉄也も別に光子力研究所が嫌いなわけではない。弟同然のシローはいるしボス達も近くに住んでいる。弓は鉄也とジュンのことを気にかけて、その生活や将来のことについて親身になって相談に乗ってくれている。鉄也の長い入院生活の間は特に、「大人」である弓の存在は二人にとって心強いものだった。
実際、退院して新しい住まいが決まるまでしばらくの間、鉄也は光子力研究所に滞在していた。その間、研究所の面々には十分親切にしてもらったし、嫌な思いはしていない。……が、しかし。
「鉄也、あそこに行くと調子狂っちゃうものね」
ジュンがくすくすと笑う。
「……べ……別に俺は……っっ!」
焦り出す鉄也を見てもジュンは笑顔を崩さない。
鉄也はその容貌と漂わせる雰囲気のせいで、他人に近寄りがたい印象を与えるらしい。本人もまた一匹狼を気取りたがるので、いつまで経っても場に馴染めない。本当は単に人見知りなだけなのだが、そんなことは相手方には伝わらない。結果、他人との間に壁が出来てしまい、近しい人間関係を築くのが難しくなる。
が、光子力研究所は違う。そんな壁など土足で蹴り倒してしまう面々が揃っているのだ。その最たるものが甲児とさやかだった。鉄也の入院中頻繁に見舞いに来てくれたさやかとは、ジュンだけでなく鉄也もすぐに打ち解けたし、甲児とは退院を機に親睦を深め、今ではシローやボスを交えて遊びに行ったりしている。
なので、光子力研究所に行くこと、甲児やさやかやシローに会うこと自体は特に問題ないのだが。
「今日も多分宴会になだれ込むんだろうな……」
鉄也が遠い目をしてぽつりと言った。
「それはそうでしょ? 私たちの婚約祝いっていう名目で、多分いつもの飲み会になるんじゃないかと思うわ」
ジュンは楽しそうだ。光子力研究所で飲み会となると、みさとの美味しい手料理が食べられる。一同ほどよく酔っぱらった頃には、女性陣はキッチンでお喋りしながらみさとから今日の料理のレシピなどを教えてもらったりするのが恒例だ。そういう意味でもジュンにとって今日は有意義な時間が過ごせるのだ。
しかし鉄也にとっては違う。酔っ払いに絡まれた挙句、さんざんな目に遭うこともたびたびだ。以前、甲児とさやかから押し付けられた「酔っぱらった鉄也がご機嫌な顔でダンスを踊っている写真」をポケットに入れたまま仕事に行き、職場でうっかり落としてしまったことがある。その写真は同僚に拾われて回覧され、職場内でひとしきり話題になった。このことがきっかけとなって同僚との間にあった壁がなくなったので、結果オーライではあったのだが、あの時は本当にいたたまれなかった。
光子力研究所の面々が酒を飲むとタチが悪い。自分はあくまで被害者だ。鉄也はそう思っている。しかしそれは、単に鉄也が勧められる酒を断らずに飲んだり、揚句踊ったりするからであって、光子力研究所の人々だけが悪いわけではない。気配り上手のみさとがそれとなく断るタイミングを作ってくれるのだが、それを鉄也が無自覚のまま潰しているということをジュンは知っている。
「せっかくお祝いして下さるんだもの。ありがたく行きましょ」
ジュンが鉄也の腕を取る。その指に光っているのは鉄也の給料三か月分だ。
堅物の鉄也が安心して羽目を外せるのは、どうやら光子力研究所だけらしい。職場の飲み会では乱れたことも潰れたこともないのだから違いは明らかだ。光子力研究所ではさぞかし気分よく酒が飲めているのだろう。そのことに気づいているジュンは、いつも温かい目で酔っぱらっていく鉄也を眺めている。本音を言うと、酔っぱらった鉄也は案外可愛かったりするので、ジュンとしてはたまにその様を見てみたい……などと思ったりもしているのだ。
しかし、そういう分析の出来ていない鉄也は、今回も、行きたいような行きたくないような複雑な顔をしながらも、決して行かないとは言わず、心なしか弾んだ足取りを隠すように、ジュンとともに光子力研究所へと向かった。
鉄也とジュンは、いつも美味しい料理を作ってくれるみさとのために、彼女の好きなワインを途中の酒屋で買ってから光子力研究所に到着した。パーティー開始の時間にはまだ間がある。
すれ違う所員からの祝福の言葉に照れながらもリビングに辿り着くと、そこにいたのはシロー一人だった。
「鉄也アニキ、ジュンねーちゃん! いらっしゃい!」
「お招きありがとう、シローちゃん。私たちの為にわざわざ……」
「いーのいーの、みんな喜んでるんだから」
シローはもう大学生だ。ジュンよりも背が高くなっている。
「俺が、あの二人やっと結婚を決めたみたいだって弓先生に話したら、先生、喜んじゃってね。それはお祝いをしなくちゃいかん!とか言い出しちゃって」
研究所の会議室を借り切って婚約祝いのパーティーの準備が出来ていること、二人と親しかった科学要塞研究所の元所員にも声を掛けたので何人かは来てくれること。そんなことをシローから聞いているうちに二人の胸は熱くなっていった。
婚約祝いは単なる口実で、実のところはいつもの飲み会だろうと思って軽い気持ちでやってきた。それなのにまさかそこまでのことをしてくれているとは思いもしなかった。
「とにかく弓先生が張り切っちゃってるから。多分ね、二人の親代わりのつもりになってるんだと思う。いつの間にか子供が増えたよねー、先生も。それもめんどくさい子供ばっか」
そのうちの一人であるシローは、そう言って悪戯っぽく笑った。
「……………………」
そんなことを聞かされてはここでのんびりしているわけにもいかない。二人は早速、所長室にいるという弓の元に向かった。
「おめでとう、鉄也くん、ジュンくん。いずれそうなるだろうとは思っていたが、本当にめでたい!」
二人の顔を見るなり、挨拶する隙も与えずに弓が満面の笑みを浮かべてそう言った。
「兜博士にも今の二人の姿を見せて差し上げたかったよ……」
鉄也は心の奥底で今でも、兜博士の死は自分のせいだと考えている。しかし最近やっと、そう考えて落ち込む自分との折り合いをつけられるようになった。兜博士が命を懸けて救ってくれたこの命、精一杯生きなければ罰があたる。
弓は二人から、結婚式や新婚旅行、仕事をどうするのかなどなど、今の時点で決まっていることの報告を受け、それにいちいちうなずきながら笑顔で聞いている。
「私では兜博士の代わりにはならないが、二人のために出来る限りのことをさせてもらうよ」
兜博士の代わりとしてではなく、弓には弓として祝って欲しいと二人とも思っていた。そこで、ジュンがバージンロードを一緒に歩いて欲しいと頼み、弓はもちろんと二つ返事で引き受けた。
ひとしきり話が盛り上がった後、弓がふと、小さくため息をついたことに二人は気が付いた。
「……君らは本当にしっかりしているね」
「………え?」
「それに比べて、あの二人は……」
溜息の原因はあの二人、つまり甲児とさやかのことらしい。
「あの二人はもういい年なのに喧嘩ばかりして、本当に子供っぽいというか何というか……。少しは君らを見習ってもらいたいものだよ。あの調子だと、さやかの花嫁姿を見るのはいつになることか……」
そう言って笑う弓の顔には諦めと共に寂しさも漂っていて、鉄也もジュンも何も言うことが出来なかった。
メッセージは文字まで、同一IPアドレスからの送信は一日回まで