Uが終わったそのあとで(2)

 M&S 

  

 気のせいだ。マリアはそう思っている。ちょっと気分が沈むとかそんなのきっと気のせいだ。だってマリアは元気でわがままでおてんばで、誰からも誉めそやされる理想的な王子である兄から無条件に可愛がられる妹で。巫女姫なんて呼ばれて両親や兄にもちょっと自慢してもらえるのが誇らしくて。マリアが元気でいると父も母も兄もみんなが笑ってくれるから、マリアはいつも元気でいて。だから…。父と母はいなくなったけど、沈みがちな兄の前では絶対に元気でいなくちゃいけなくて…。

 だから……。

  

  

 トントン

 ドアがノックされる音に、窓の外の見慣れぬ星が並ぶ夜空をただぼんやりと眺めていたマリアは慌てて振り向いた。
 夕食も終わり、そろそろ寝ようかという時間。もしかして兄が来てくれたのかと思ったマリアは、部屋が暗いことに今更気づいて灯りをつけ、そっとドアを開ける。

 と。

「マリアちゃん、お腹空いてない?」

 そこにいたのはさやかだった。大きな袋をいくつも下げ、満面の笑みを浮かべマリアを見ている。

 兄ではなかった。そのことに落胆している自分に気づかなかったふりをして、マリアはさやかをじっと見る。

 出会ってまださほど経っていない彼女の事を、マリアは余りよくはわかっていない。この研究所の所長の娘でマリアの身の回りのことを色々世話してくれる人。でもマリアに仕える侍女なわけじゃなくて。

 これまで王女として生きてきたマリアにとって、どうにも少し距離を測りかねる相手だ。それはマリアを「王女」としては扱わない、この地球の人全般に言えることかもしれないが。

「……さやか…、どうしたの、それ何?」
「あ、これ? お菓子よ。地球のお菓子、まだあんまり食べたことないでしょ? 一度食べてみて、美味しいんだから! たこ焼きもあるのよ。この前美味しいって言ってたやつ。覚えてる?」

 確かにいい匂いがしている。そして、それにつられたのか、マリアのお腹がきゅるると鳴った。そういえば、今夜は食欲がなくてあまり食べていなかったのだ。

「ほら、お腹空いてるじゃない。お腹空いたままだと寝られないわよ。だから、ね!」

 さやかはずかずかと部屋の中に入ってくると、袋の中のものをテーブルの上に勢いよくあけた。色とりどりの袋が山積みになる。

「ジュースもお茶もあるわよー」

 袋からは、飲み物が入っているらしいボトルや缶も出てきた。

「今夜は女子会!」
「女子会?」
「そう。女の子だけのパーティーね」」

 パーティーといえばマリアの認識では豪華な料理と音楽とダンスと着飾った人々…という印象なのだが。

「地球のこと、色々知ってもらいたいから」

 そう言ってにっこり笑うさやかが開けた袋からは食欲をそそるいい匂いがしてきたので、マリアは地球風のパーティーを受け入れることにした。故郷のパーティーと比べるのはやめておく。そもそも故郷のパーティーの何たるかもマリアは余り知らないのだ。マリアがフリード星の社交界に出るのは、修道院での教育を終えた後の予定だったから。
 父と母と兄と一緒に着飾ってパーティーに出ることを楽しみに、マリアは窮屈な修道院での生活を送っていた。

 でももう、そんな日は来ない。

「まだマリアちゃんとはゆっくり話したことないから…だから今夜はおしゃべりしよう?」

 いつの間にかさやかは、マリアの部屋のソファに腰を下ろしている。

 マリアがこの部屋を使うようになったのは最近のことだ。最初は客室を使っていたが、ほんの数日で、兄の部屋の隣にこの部屋が整えられた。調度品も客間とは違い女の子が好きそうな可愛いデザインで統一されている。フリード王宮の自室よりは手狭だが、マリアはこの部屋が案外気に入っていた。可愛くはあっても甘すぎないしつらえはマリアの好みにぴったりだったからだ。この部屋の壁紙も家具もあれこれすべてさやかが選んでくれたのだと甲児から聞いていた。

「…おしゃべりって…、私話すことないわよ」

 ちょっと冷たい言い方をしてもさやかはまったく動じなかった。フリードの侍女たちなら、マリアがこんな言い方をしたらその意向を察して黙って部屋から出て行ったものなのだが、さやかにはフリード星の流儀は通用しない。

「まぁまぁ。食べながら聞いててくれたらいいから」

 そう言ってお茶を入れ、たこ焼きを出し、お菓子の袋を開け、ご丁寧にウェットティッシュなどもセットするさやかを見ていたら、マリアもさやかを追い出すのは諦めた。お腹が空いていることに気付いてしまった今、たこ焼きの匂いにはなかなか抗いがたい。また、色とりどりのお菓子たちの味も気になってきた。

 仕方がないのでマリアもさやかの向かい側にぽすんと腰を下ろすと、そんなマリアを見たさやかはにんまりと笑った。そして、お菓子を食べながら勝手にぺらぺらといろんな話をし始める。地球のこと、この研究所のこと、甲児のこと、地球に来てからの兄のこと。そしてマリアに尋ねてもくる。マリアの好きな色、好きな食べ物、得意なこと。地球に来てから困っていることはないか、などなど。

 最初はその話を右から左に聞き流していたマリアだったが、いつの間にか相槌を打ち、聞き返し、質問するようになって、自分がこの「おしゃべり」を楽しんでいることに気がついた。

 王宮でも修道院でも、マリアは「姫様」だったので、こんな風に誰かと気安くおしゃべりしたことなどほとんどなかった。例外は幼馴染の少年たちで、彼らはマリアに遠慮しなかったから、競い合って勉強もしたし一緒に泥だらけになって遊びもした。高位貴族の子息だった二人はあの日王都にいたはずだ。その消息は修道院まで届いていない。

「……マリアちゃん?」

 この人はフリード星とは何の関係もない人。だったら、少しぐらい話したっていいんじゃないだろうか。お菓子はこんなに美味しいし、しゅわしゅわするジュースや綺麗な色のアイスは、凝り固まっていたマリアの心の何かをほんのちょっぴり緩めてくれた気がした。

 

 そうして気がつけば、マリアはぽつぽつと話し始めていた。さやかは黙って聞いていてくれた。フリード星がどんなに美しい星か。どんな気候でどんな花が咲いてどんな動物たちがどんな風に暮らしている星なのか。留学してくる多くの優秀な人材。民の生活に心を砕く立派な王と王妃である両親。文武両道の優秀な王子だと称えられていた兄。王族は民に愛されていて、マリアや兄はいつも彼らから優しい笑顔を向けられていたこと。

 でも。

「……私…ね、予知能力があるの」
「うん。大介さんから聞いた」
「……なのに…なのに私、なんの役にもたたなかったの。お父様とお母様のことも兄さんのこともなにも予知できなかった……」

 マリアの膝の上で拳がぎゅっと握られる。

 それはマリアの心の内にずっとあった重し。フリード星の巫女姫と呼ばれ、実際にいくつもの予知をしてきたのに、一番予知しなければならなかったことは何も見えなかった。

 肝心な時に使えない能力に何の意味があるんだろう。

 わかっている。マリアの予知は自分の身の回りに起こることが中心で、距離が離れた事象については感知しずらくなる。それがわかっていたのになぜフリード王宮を離れてしまったのか。いや、もっと早くに修道院へ行けば良かったのだろうか。修道院は王女の行儀見習いの場であると同時に、巫女姫の修行の場としても使われてきた。早くから能力を磨いておけば、王宮でのことも予知できたのでは?

 何故自分は両親や兄の傍を離れてしまったのか。

 あれからマリアは、何度も何度も考えた。考えても無駄だということぐらいわかっていたけれど、それでも考えずにはいられなかった。

「でも、マリアちゃんに予知能力があったから、フリード星を脱出できたんでしょう?」

 さやかの声に俯いていた顔が上がる。

「予知能力がなかったら、マリアちゃんは今ここにいなかった。大介さんは今もずっとフリードに残してきた妹を心配してた。私も甲児くんもマリアちゃんに会えなかった」

 あの時。マリアはベガ星軍が自分を拘束しにくることを予知した。

 この予知で、今回の事件の裏にベガの存在があると知った。ショックを受けなかったと言えばウソになる。兄がベガ星の王女であるルビーナを深く愛していることを知っていたし、ベガは長年フリードの友好星だったから。

 兄が心配だった。兄に会わなければいけない。
 そうしてマリアは修道院を逃げ出した。向かう方向を迷わなかったのも、ベガ軍を振り切れたのも、マリアの能力のおかげだ。あのまま拘束されていたら、自分がどんな風にベガに利用されていたのかわからない。自分だけではなく兄にも、もしかして目の前のさやかにも迷惑をかけることになっていたかもしれない。そうならなかったのは間違いなく予知能力のおかげだった。

「だからね、その能力、大事にして」

 この能力があったから自分は逃げ延び、兄に会え、そしてベガ軍と戦える。そう考えたら、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、気持ちが楽になったような気がした。

 が、しかし。

「マリアちゃんの予知能力は、この先、戦いにも利用させてもらわなくちゃいけないし」

 余りにも率直なさやかの言葉に、マリアは一瞬目を丸くした。

「私のこと、利用する気まんまんなのね」
「もちろん。使えるものはなんだって使うわ。ベガ星のいいようにされるのは嫌だもの。当り前でしょ?」

 そう言って悪気などこれっぽっちもないような綺麗な笑顔を浮かべた後、居ずまいを正したさやかは頭を下げた。

「だから、よろしく」

 下げられた頭はピクリとも動かない。

 さやかのつむじを見ながらマリアは思う。ここまでぶっちゃけられたらかえって清々しい。それに、頼られることは素直に嬉しくもあった。あの時使えなかった力がここで役に立ったら、少しは自分の力に自信が持てるだろうか。

「そうね、ここに置いてもらう代わりに予知してあげてもいいわよ」

 ツンとして言うと、顔を上げたさやかが笑った。

「ありがとう!」
「…お…王宮の部屋には劣るけど、この部屋、趣味も良くて気に入ってるしっ」
「気に入ってくれたの?嬉しい!足らないものがあったら言って!買いに行ってもいいし取り寄せてもいいし!」

 本当に嬉しそうにさやかが言う。

 マリアの脳裏に甲児の言葉が浮かんだ。毎朝のランニングの際何気なく聞いた話のひとつ。

『さやかさん、妹が欲しかったんだってさ。だから、大介さんが羨ましいみたい。マリアちゃんのこと可愛い可愛いって言ってる。こんな鬼コーチなのに!』

 「鬼コーチ」の部分に反応したマリアは、当然ランニングのスピードを上げて甲児をへろへろにしてやったわけだが。

 今目の前にいるさやかを見ていると、あの時は気にも留めず流していた甲児の言葉が本当なのではと思えてくる。目の前の彼女は確かにマリアの能力を利用する気まんまんだが、それ以上にマリアのことを可愛いと好意を持ってくれている? もしかしてひょっとすると妹みたいに思っていたり…とか? だから夕食を残したマリアを気に掛けてこうやって部屋まで来てくれて……。

 急に照れ臭くなってきたマリアは目の前のお菓子を口に詰め込んだ。

「それにこのお菓子もみんな美味しいしっ!」
「ほかにもおいしいお菓子や食べ物は色々あるのよ? これからちょっとずつ紹介していくから楽しみにしてて!」

 さやかはにこにこ笑ってマリアを見ている。

 兄の父親代わりの宇門だって、比較的無表情なひかるだって、いつも厳しい顔をしている弓だって、マリアに対しては皆優しい。それは「王女」や「巫女姫」だからじゃなくて、ただのマリアに好意を持ってくれている? 落ち延びてきた王女への同情とかでもなくて?

 兄に対してもそうだ。甲児はいつの間にか友人関係を築いているし、さやかだって同じ。宇門は常に温かい眼差しで兄を見守ってくれている。弓は…若干厳しい態度をとっているが、だからと言って兄を嫌っている風でもない。この地球で、兄の周りには兄を思ってくれている人がちゃんといる。兄が沈んだ顔をしていたら心配してくれる人がマリア以外にもいる。兄が実は繊細で傷つきやすく人一倍心優しい人だと知ってくれている人がいる。

 それならば。

 マリアは一人で頑張らなくてもいいんじゃないか。

 兄のことは心配だけど、兄には元気でいて欲しいけど。笑っていてほしいけど、マリアひとりが頑張らなくても他のみんなも兄を思って兄を支えてくれているなら。

 なんだか肩の力が抜けたような気がした。

「……ねぇ、その手はなに?」

 何故か気が付けば、いつの間にか隣に座っているさやかに頭をなでなでされている。

「……あ! 無意識って怖いっっ!」

 慌てて手をひっこめたさやかは、若干顔を赤くして焦っている。

 無意識にマリアの頭をなでようとするってどういう心理なんだ。
 いくら考えても良い方にしか考えられない。
 子ども扱いされているようでちょっと癪ではあるけれども。

「……いいわよ」
「え?」
「頭。少しぐらいならなでさせてあげてもいいわよ」

 さやかから目を逸らし、唇をとがらせて言ったマリアを見て、さやかが叫んだ。

「……ツンデレ!?」

 そうして、撫でるどころかさやかが全力で抱き着いてきたので、マリアは抵抗したけれど……。でも本当のところ、どうしてだかそれが余り嫌じゃなかった。

 文明レベルも低いし、王族に対する態度は全然なってないし、身体能力だってずっと劣ってて、だけど。

 兄が好きになった地球って星を、地球の人を、自分も案外好きになれそうだとマリアは思った。

  

  

 優しい花柄のカーテンを開ければ、暗い夜空には先程と同じ星空が広がっているのだろう。
 その向こうのどこかにフリード星がある。

 フリード星に眠る父と母を想う。二人を思い出すと涙が出そうになるけれど、今はまだ泣く時じゃない。いつか両親の仇をとって堂々とフリード星に帰り、それを両親の墓に報告した時にこそ泣こうとマリアは思っている。時々うっかり目から変な汁が出るのは、涙じゃないからカウント外だ。

 修道院に入る前にしばしの別れを告げた幼馴染の事を想う。いつか彼らに、今食べている地球の美味しいお菓子たちを振舞いたい。彼らの驚いたり喜んだりする顔が目に浮かぶ。
 さっきまでは思い出すと不安で心が押しつぶされそうになっていたのに、今のマリアは不思議に二人の無事を信じられた。  あの二人がそうそう簡単にやられたりはしない。
 地球にいると、何故だろう、そう信じられる気がした。

  

  

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マリアの幼馴染の少年たちについて
一人はもちろんケインです。で、もう一人はUナイーダの際回想シーンに出てきてたのでシリウスになります。
捏造設定的には、シリウスは死んでおりません。
ガンダルたちがナイーダを洗脳する際、怒りの感情を増幅させるために、「グレンダイザーに踏み潰されて死んだ」と刷り込んだだけ。
弟が目の前でそんな死に方をしたのを見ていて、ナイーダがデュークに対してあんな風な振る舞いをするっていうのはちょっと納得いかなかったので、ここも設定を捏造してみました。そういうとこも、旧作は上手だったよなーとつくづく思ったり。